サンデルが来日し、東大で講義して大盛況だったようだ。しかし彼の議論は、モダニズム批判としてはそう新しいものではなく、むしろ日本のほうが早い。その代表が、「近代の超克」と題して有名になった1942年の『文学界』の座談会である。ここではニーチェやフッサール以来の近代批判を継承し、自由主義や個人主義を否定して「アジアとの連帯」を求める議論が展開された。これを廣松渉が解説するのは奇妙な組み合わせにみえるが、彼の哲学は非常に「日本的」で、本書はその問題意識をよく示している。近代的な「負荷なき自己」がフィクションであるという認識は、この座談会に集まった面々にとっては共通了解だった。当時は、アジアを代表する「新興国」としての日本が西欧近代の価値観に挑戦する「大東亜戦争」を戦っている最中であり、その世界史的意義を確認することが彼らの課題だった。その基調となった「覚書」はこうのべる:
こうした議論は、啓蒙的自由主義の欠陥を指摘する点では鋭い洞察をみせながら、それを「超克」する原理として設定した「東亜共同体」の実態は、日本がアジア諸国を指導しようとする夜郎自大だった。問題はそれが戦争に利用されたことではなく、ゲマインシャフトの解体への反発が国家主義という結集軸に集まると、想像を超えたエネルギーをもつことである。
政治的・経済的に行き詰まった1930年代の日本で「強い指導者」が求められ、腐敗した官僚を打倒して「天皇親政」を実現しようとする青年将校が登場した状況は、「小沢待望論」が盛り上がる現在の日本と似ている。幸か不幸か北一輝のような傑出したイデオローグがいないため、それはまだもやもやした不満でしかないが、思想的な結集軸を得たとき暴走するリスクはゼロではないだろう。
近代の超克といふことは、政治においてはデモクラシーの超克であり、経済においては資本主義の超克であり、思想においては自由主義の超克である。[・・・]日本の場合においては、近代の超克といふ課題は同時に欧州の世界支配の超克といふ特殊の課題と重複することによって問題は一段と複雑性の度を加へる。このような認識は、国策に迎合する文学者だけのものではなく、たとえば三木清は「個人主義と全体主義を止揚する協同主義」を掲げ、近代的な観念論と唯物論の対立を超克した「東洋的ヒューマニズム」を唱えた。彼は「ゲゼルシャフトとゲマインシャフトを綜合」した理想社会の実現として「日満支を包含する東亜共同体」を位置づけた。
こうした議論は、啓蒙的自由主義の欠陥を指摘する点では鋭い洞察をみせながら、それを「超克」する原理として設定した「東亜共同体」の実態は、日本がアジア諸国を指導しようとする夜郎自大だった。問題はそれが戦争に利用されたことではなく、ゲマインシャフトの解体への反発が国家主義という結集軸に集まると、想像を超えたエネルギーをもつことである。
政治的・経済的に行き詰まった1930年代の日本で「強い指導者」が求められ、腐敗した官僚を打倒して「天皇親政」を実現しようとする青年将校が登場した状況は、「小沢待望論」が盛り上がる現在の日本と似ている。幸か不幸か北一輝のような傑出したイデオローグがいないため、それはまだもやもやした不満でしかないが、思想的な結集軸を得たとき暴走するリスクはゼロではないだろう。




池田信夫『もし小泉進次郎がフリードマンの「資本主義と自由」を読んだら』
田原総一朗『生存への契約 誰がエネルギーを制するか』
池田信夫『イノベーションとは何か』
田原総一朗『日本の官僚 文部省・建設省・厚生省・郵政省編』
西和彦『ベンチャーの父 大川功』
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古典で読み解く現代経済
日本経済「余命3年」:財政危機をどう乗り越えるか
新・電波利権
宗教を生みだす本能
福田恆存 思想の〈かたち〉
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Thinking, Fast and Slow
Debt: The First 5,000 Years
Atomic Awakening
Power to Save the World
ジョーンズ マクロ経済学
放射能と理性
気候変動とエネルギー問題
ゲーム理論による社会科学の統合
エネルギー論争の盲点
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丸山眞男――理念への信
デカルトの誤り
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Civilization: The West and the Rest
The Enlightened Economy
Violence and Social Orders
コメント一覧
テレビや新聞の論調が「小沢待望論」だとしたら、たんに勝ち馬に乗ろうとしているだけでしょう。「近代の超克」のような大げさな話ではないと思いまよ。
ただ、民主党の代表選は、消費税と普天間基地が問題になるのは間違いないと思います。自民党としては、誰が代表になっても四月の統一地方選前の解散に追い込むだけです。ただ、小沢一郎が代表になれば、四月の統一地方選との同日選挙を仕掛けてくるかもしれません。
日本人の言うところの「強い指導者」というのは、小泉純一郎のようなデマゴーグ的な政治指導者に行き着くところがありますので、「小沢一郎神話」も根拠無き盲信に近いものがあります。
「ええじゃないか」のようなカタルシスを求める民衆の逼迫した精神状況が、とにかくすがりつくものが欲しくて騒いでいるだけでしょう。
ロジックで問題を解決する道筋を作り出せない日本人の脳は永遠にこうしたパニックヒステリー状態を繰り返し、5・15や2・26のような暴発にその発露を求めるのだと思います。
1942年に近代の超克を目指していたとは日本人とはすごい!!と思いますが、結論が「大東亜共栄圏」ではずっこけます。近代=西洋に対する東洋=東アジアという単純な図式ですね。西洋にも適用できる「超克」でなければ真の超克たりえないでしょうに。
〉近代的な「負荷なき自己」がフィクションであるという認識は、この座談会に集まった面々にとっては共通了解だった。
ただ、この認識は卓見ですね。ここを出発点に如何にして「負荷なき自己」を実現せしめるのかを考えた方が「超克」たりえたのではないかと思います。
自己の利益ではなく自己が主体的に選択した他者への献身(子に対する母の愛のような、或いは芸に対する自己研鑽のような)にこそこの「超克」のカギがあると個人的には考えていますがまだよくわかりません。
これが一番面白い。それでも最後の「~現在の日本と似ている。」で気持ち悪い。
個と全体の関わりにおいて日本人は合理的に行動できないようにみえる。今回の代表選はどうでしょう?
個の利益と全体の利益が最大になるように行動するのが
合理的ではないでしょうか?また目的と手段の逆転現象はありませんか?
昭和天皇の判断が一番合理的に思えるのですが。
小沢は、普天間基地の海外移設をやる気でいるんじゃないか、という説があります。普天間基地の海外移設をやった後、「消費税は上げません」と言って解散総選挙を行う。アメリカが辺野古に固執するようであれば、「それなら国民に真を問う」と言って解散総選挙を行う。
テレビや新聞もそれを望んでいて、それで「小沢待望論」なのでしょうか。そうでないとすれば無責任ですね。マスゴミと言われてもしょうがないでしょうw