佐々木俊尚氏がツイッターでこういう疑問を出している:
よく言われることだけど、日本は「リスクはゼロにすべき」と思ってる人がやたらと多く、リスクマネジメント(リスクを減らすコストとリスクが生むコストを天秤にかける)の意識が欠如している。なぜそういう思考にいかないのか。日本人の民族性となんか関係があるんだろうか。
これは私もブログ記事で書いたことがある。行動経済学の実験によれば、必ずしも日本人がリスク回避的とはいえないようだが、資産構成をみるかぎり先進国では群を抜いてリスク回避的だ。その理由は(前の記事でも書いたが)組織内のコーディネーション様式と関連していると思う。次のような状況を考えよう:
2機の戦闘機が同時に敵艦を攻撃する。2機で攻撃すると撃沈できるが、1機だけだと撃墜されてしまうとする。ここで一方の戦闘機が他方に信号を送り、他方がそれを受信したことを確認したら攻撃するが、航空無線にノイズがあって受信できない可能性があるとする。この2機は、どうすれば協調して敵艦を攻撃できるだろうか?
これは協調攻撃(coordinated attack)というゲーム理論の有名な問題で、その答は、少しでもノイズがある限り協調攻撃はできないというものだ。戦闘機Aの出した信号を戦闘機Bが聞き取れなかったら、Aだけで攻撃すると撃墜されてしまう。Bがその信号を受信しても、Bの返事をAが受信できないと協調攻撃できない・・・というように無限ループに入ってどちらも攻撃できないのだ。

これはRubinsteinの有名な論文で証明され、全員が同じことを知っていることを全員が知っている・・・という共有知識(common knowledge)をもつことがいかにむずかしいかの例としてよく引用される。協調して行動するときは、少しでもノイズがあると協調に失敗するので、全員が完璧に情報を共有しないと行動できないのだ。

日本の企業の特徴は、アフター5のつきあいまで含めた濃密な人間関係で、組織内に均質の共有知識ができていることだ。そこではノイズやKYは徹底的に排除され、組織で決めると全員が何もいわなくても整然と動く。少しでもリスクがあると、それを恐れて動かない人が出てくるので自分だけが動くと危ない・・・という無限ループが生じるので、リスクはゼロにしなければならない。

もちろん実際にはリスクはゼロではないので問題は起こるが、そういう情報は無視され、既存の共有知識の中で処理しようとする。組織が存続の危機に瀕したとき初めて共有知識を更新するが、全員の知識を同時に変えなければならないので、変化が困難で時間がかかる。これが日本の企業の意思決定メカニズムの中核にある問題だ。くわしいことは、拙著の補論を参照されたい。