The Microtheory of Innovative Entrepreneurship (The Kauffman Foundation Series on Innovation and Entrepreneurship)著者の前著でもArrow, Solow, North, Phelpsなどの巨匠が一致して認めるように、経済成長の要因として圧倒的に重要なのはイノベーションである。しかしそれについての経済理論はほとんど存在しないという点でも、彼らの意見は一致している。それは新古典派理論が結果としての均衡状態を記述する静学理論であり、その過程としての起業家精神を分析する道具をもっていないからだ。

本書は、その空白を埋めるようとする試みである。率直にいって、新古典派に対応するようなMicrotheoryが構築されているわけではないが、これまで経済学がイノベーションをどう説明してきたかはていねいにおさらいされている。特に「セイの法則」でしか知られていないJean-Baptiste Sayが、起業家精神の理論の先駆者として紹介されている。

Entrepreneurという言葉を最初に使ったのはCantillionだが、そこでは起業家はリスクの大きな博打を打つ者としてネガティブに扱われていたのに対して、セイは彼の主著で起業家を経済のエンジンとして肯定的に評価し、成長のためには次の3種類の「生産者」が必要だとした:
  • 科学者
  • 起業家
  • 労働者
このうち労働者はどこの社会にもいるが、科学者は先進国にしかいない。アフリカの経済発展が遅れているのは、これが原因だ。しかし科学者がいても、それを事業化する起業家のいない国では、科学的知識は書物の中に埋もれてしまう。日本には勤勉な労働者と優秀な科学者はあり余っているが、冒険する起業家がボトルネックになっている。

おもしろいのは「よい起業と悪い起業」があるという話だ。企業が利潤を追求する上で最も効率がいいのは、国王などの特許状をもらって利権を独占することであり、歴史的にみると、こうした非生産的な起業が企業活動の圧倒的多数を占める。古代ローマでは、政府の許可を得て課税や金貸しを行なうことだけが名誉ある経済行動で、そうした特権を侵害する起業は禁止された。中国では科挙で選ばれた官僚の地位が非常に高く、彼らが商業活動の成果を掠奪した。

近代のイギリスで産業革命が起こった重要な原因は、法の支配が確立して生産的な起業が可能になったことにある。昔も今も起業はリスクの高い試みであり、それを奨励するには、政府が特定の企業に特権を与えるのではなく、すべての企業に無差別に参入を許し、それが成功した場合にも成果を掠奪しないというルールを守る必要がある。イギリスでは民主主義によって課税の制限や財産権の保護が確立していたことが、経済発展の要因だった。

しかし日本の官僚は、いまだに産業革命の教訓にも学んでいないようだ。VHF帯でどの会社が成功するかを「われわれプロフェッショナルが決める」と公言する電波官僚は、科挙の時代の官僚とほとんど変わらないし、「光の道」や「デジタル教科書」という名の新しい利権に群がる企業も、昔の御用商人と変わらない。民主党も自民党もみんなの党も進めようとするターゲティング政策は、悪い起業を増やすだけである。