週刊 東洋経済 2010年 8/21号 [雑誌]今週の週刊東洋経済の特集は「哲学入門」。日本経済の衰退の原因は哲学的レベルにあるので、哲学書を読むのはいいと思うが、問題の立て方が微妙にずれているのが気になったので、私の夏休み読書ガイドを:

この特集のきっかけは、サンデルの本が20万部以上も売れていることだと思うが、これはおそらくテレビの影響で、彼の問題意識は日本では共有されていない。コミュニタリアンがアメリカで出てきたのは、ロールズノージックに対するアンチテーゼとしてなのだが、日本にはアメリカのような意味でのリベラルもリバタリアンもいないからだ。

ロールズが「公正な分配」を哲学のテーマにしたのは、60年代の公民権運動や対抗文化の影響だが、70年代にはこうした運動が挫折し、石油危機後の財政赤字やスタグフレーションによって福祉国家の欠陥が露呈した。それを受けて「小さな政府」を求めるノージックなどのリバタリアニズムが出てきて、レーガン政権以降の流行となった。

それは今おもえば、社会が国家と無数の<私>に分裂する後期近代の訪れを告げるものだった。80年代には、経済学でもケインズ理論が没落し、政府の役割を否定する新しい古典派が主流になった。それが経済がグローバル化し、主権国家のコントロールがきかなくなる時期だったのは偶然ではない。

欧州でもサッチャー政権などリバタリアンの影響力が拡大し、ポストモダン(まさに後期近代のイデオロギーだ)は資本主義の無政府性を賞賛した。社会学も、後期近代は中間集団の求心力が弱まり、すべてが流動化する時代ととらえた。すべての問題を解決する賢明で慈愛に満ちた政府という幻想は20世紀に失われ、残念ながら二度と取り戻すことはできない。

欧米諸国は、こうした変化に70年代に気づき、80年代に方向転換したが、日本の政治家はそこから30年たっても、まだ問題を理解せず、「小泉改革で格差が拡大した」などといっている。政治家が「グローバリズム」や「市場原理主義」をきらう心理はよくわかるが、グローバル資本主義を拒否しても止めることはできない。われわれは、この不平等で不愉快なシステムと付き合っていくしかないのである。

個人主義は古典的なモダニズムだが、皮肉なことにポストモダンの時代にそれはますます強まっている。コミュニタリアンの批判するように「負荷なき自己」は特殊西欧的イデオロギーだが、異質な文化の出会うグローバル時代には、トッドもいうように個人主義しか「最大公約数」はなくなるのかもしれない。人間は必ずしも利己的ではないが、全世界の未知の人々と競争する時代には、誰もが利己的に行動すると想定しておくことが安全である。だから半世紀前の『資本主義と自由』は、今ますます有効性を増している。