官邸主導―小泉純一郎の革命国家戦略局をめぐる騒動は、菅首相をはじめ内閣の誰も「官邸主導」の意味を理解していないというお粗末な実態を白日のもとにさらす結果になった。仙谷官房長官は、あわてて「予算編成の新司令塔」をつくると表明したが、シーリングが決まってから予算編成の組織をつくるとはあきれた話だ。

先日の記事では経済財政諮問会議を復活させたらどうかと書いたが、法案をよく読むと両者は決定的に違う。ニューズウィークにも書いたように、諮問会議が調査審議する機関でしかないのに対して、戦略局は予算の基本方針を企画・立案・総合調整する機関なのだ。財務省は、その成立を絶対に阻止したかっただろう。首相の判断は、財務省の意向だと考えるのが自然だ。

本書は小泉政権末期に書かれたものだが、官邸主導を確立することがいかにむずかしいかを村山内閣以来の歴史で描いている。日本の官僚機構の構造は明治以来、基本的には変わっていない。それは天皇という「空虚な中心」のまわりに各官庁が集まり、内閣はその合議体でしかないという官僚内閣制である。

政治が変わらない最大の原因も、このように官庁のコンセンサスで政府の方針が決まる構造にある。ゲーム理論でも知られているように、メンバーが均質的であればあるほど経路依存性が強く、「局所解」から抜け出せない。この「国のかたち」は明治以来、100年以上にわたって受け継がれてきたもので、変えることは容易ではない。それに少しでも手をふれようとする者は、霞ヶ関の強い「免疫反応」で拒絶されるのだ。

この拒絶反応を政治力で抑え込んだのが小泉内閣だった。かつて彼の口癖は「経世会をぶっ壊す」だったというが、それを「自民党をぶっ壊す」と置き換え、国民の圧倒的な支持をバックにして政治主導を実現した。経済政策の要に竹中平蔵氏という「異分子」をすえ、経世会を徹底的に排除して「体制内改革」を実現した。彼のおかげで、賞味期限の過ぎていた自民党は10年生きながらえた。

しかし本書も指摘するように、小泉改革は首相の「個人商店」的な性格に依存していた。自民党を知り尽くした小泉氏と、霞ヶ関にくわしい飯島秘書官による名人芸ともいうべき人事で、小泉政権は高い人気を保ったまま5年以上続いたが、そういう人事の機微を知らない安倍首相には同じことはできなかった。このあたりの事情は、当事者だった片山さつき氏が語っているが、彼女もいうように官邸主導を制度化できなかったことが小泉氏の失敗だった。

それを制度化しようとしたのが、政治主導確立法案を書いた松井孝治氏(前官房副長官)である。彼は橋本行革の挫折に失望し、政治家にならないと霞ヶ関は変えられないと考えた。国家戦略局は「国のかたち」を変える橋頭堡だったのだが、今回も官邸主導は見果てぬ夢に終わってしまった。それを変えることは、明治維新や敗戦ぐらい強烈なショックがないと不可能なのかもしれない。