梅棹忠夫氏が死去した。本書のコアになっている論文は短いが、日本人論や日本文化論に大きな影響を与えた。これは先日のホリエモンとの対談で話したこととも関連するので、少し説明しておこう。本書の考え方は、きわめて単純である。図のように、アジアの中心部には広大な乾燥地帯があり、それを支配するのは遊牧民族で、古代文明の多くはこの地帯とその周辺に成立した。彼らはつねに移動しながら、暴力によって動物や他民族を支配する。

これに対して農耕文明を守るために中国(?)、インド(?)、ロシア(?)、イスラム(?)では軍事的な専制国家が発達したが、その東西の周縁に位置する日本や西欧などの農耕地域に住む民族は、こうした専制国家の直接支配をまぬがれ、生態系の自生的な遷移(succession)によって農業文明から工業文明に進化した――というのが「生態史観」である。
これは中根千枝氏のタテ社会論とも通じるもので、日本の文化人類学の通説と考えていいだろう。つまり日本社会の最大の特徴は、有史以来、外国の植民地支配を受けたことのない異例に平和な国だということである。これはもちろんいいことだが、戦争を指揮する絶対君主がいないため、国としてのまとまりが弱い。人々を精神的に引っ張る力も必要ないので宗教の影響も弱く、キリスト教やイスラム教のような一神教は根づかなかった。
他方、社会が自生的な生態系を形成しているため、地域や企業などの中間集団のまとまりが強い。その内部では規律が厳格に守られ、転職などによって組織を裏切ったものは「村八分」になり、二度と同じような組織には入れてもらえない。中間集団の最適規模は数百人以内なので、大企業は事業部の連合体になり、政府は省庁の連合体になる。それを統括する取締役会も内閣も「合議機関」で、社長や首相がリーダーシップを発揮するのがむずかしい。
いま日本が直面している問題を解決するのが困難なのも、こうした天皇制に象徴される中心のない構造が原因だ。生態系が成熟して均質なので、漸進的な変化には適応しやすいが、不連続な環境変化に弱い。社会に多様性が乏しく「突然変異」が少ないため、コーディネーションの失敗から脱却できないのだ。リーダーの本質的な役割は均衡選択だが、中枢機能が弱く、生態系の中で蓄積された既得権(サンクコスト)が大きいため、別の均衡に移行できない。
それでも企業の場合には、グローバル化などの外圧によって生態系も変化せざるをえないが、官庁には外圧がないので、自己増殖して暴走することがある。明治期に海外から移植された国家資本主義という外来種が異常増殖したときも、軍部の暴走は敗戦で止まったが、霞ヶ関は生き延び、今なお増殖を続けている。
ホリエモンが「何とかならないのか」というのに対して私の答が「煮え切らない」というコメントが多いが、数千年にわたって受け継がれてきた生態系の構造を10年や20年で変えることはできない。焼け野原になるまで、この生態系は変われないかもしれない。
これは中根千枝氏のタテ社会論とも通じるもので、日本の文化人類学の通説と考えていいだろう。つまり日本社会の最大の特徴は、有史以来、外国の植民地支配を受けたことのない異例に平和な国だということである。これはもちろんいいことだが、戦争を指揮する絶対君主がいないため、国としてのまとまりが弱い。人々を精神的に引っ張る力も必要ないので宗教の影響も弱く、キリスト教やイスラム教のような一神教は根づかなかった。
他方、社会が自生的な生態系を形成しているため、地域や企業などの中間集団のまとまりが強い。その内部では規律が厳格に守られ、転職などによって組織を裏切ったものは「村八分」になり、二度と同じような組織には入れてもらえない。中間集団の最適規模は数百人以内なので、大企業は事業部の連合体になり、政府は省庁の連合体になる。それを統括する取締役会も内閣も「合議機関」で、社長や首相がリーダーシップを発揮するのがむずかしい。
いま日本が直面している問題を解決するのが困難なのも、こうした天皇制に象徴される中心のない構造が原因だ。生態系が成熟して均質なので、漸進的な変化には適応しやすいが、不連続な環境変化に弱い。社会に多様性が乏しく「突然変異」が少ないため、コーディネーションの失敗から脱却できないのだ。リーダーの本質的な役割は均衡選択だが、中枢機能が弱く、生態系の中で蓄積された既得権(サンクコスト)が大きいため、別の均衡に移行できない。
それでも企業の場合には、グローバル化などの外圧によって生態系も変化せざるをえないが、官庁には外圧がないので、自己増殖して暴走することがある。明治期に海外から移植された国家資本主義という外来種が異常増殖したときも、軍部の暴走は敗戦で止まったが、霞ヶ関は生き延び、今なお増殖を続けている。
ホリエモンが「何とかならないのか」というのに対して私の答が「煮え切らない」というコメントが多いが、数千年にわたって受け継がれてきた生態系の構造を10年や20年で変えることはできない。焼け野原になるまで、この生態系は変われないかもしれない。




池田信夫『もし小泉進次郎がフリードマンの「資本主義と自由」を読んだら』
田原総一朗『生存への契約 誰がエネルギーを制するか』
池田信夫『イノベーションとは何か』
田原総一朗『日本の官僚 文部省・建設省・厚生省・郵政省編』
西和彦『ベンチャーの父 大川功』
3・11後 日本経済はこうなる!
古典で読み解く現代経済
日本経済「余命3年」:財政危機をどう乗り越えるか
新・電波利権
宗教を生みだす本能
福田恆存 思想の〈かたち〉
中国化する日本
Thinking, Fast and Slow
Debt: The First 5,000 Years
Atomic Awakening
Power to Save the World
ジョーンズ マクロ経済学
放射能と理性
気候変動とエネルギー問題
ゲーム理論による社会科学の統合
エネルギー論争の盲点
Rational Choice
丸山眞男――理念への信
デカルトの誤り
Energy Myths and Realities
Civilization: The West and the Rest
The Enlightened Economy
Violence and Social Orders
コメント一覧
公務員の10年定年制を導入し、もし成り手がない場合「徴公務員制」を導入して一般市民を公務員にしては。一応義務教育を受けた市民ばかりのはずだし。実際、学芸員や司書は嘱託職員でだいたい3年ごとで契約見直し。正規職員でも権力集中が起こらないよう何年かに一度部署交代してるんだから、できなくはないはず。
今回の記事は特に興味深かったです。
日本は何故総理大臣が短命なのかわかります。
日本は地域主義が強く、公共事業や福祉のばら撒きが地域で奪い合いになることに疑問を感じていましたが、納得できます。
司馬遼太郎さんの本では地域の特性を中立の立場でおもしろく書いていますが、池田先生は現在の世界状況ではなじまないことを指摘しています。
黒船のような外圧が現実的でない現在では、日本が一つにまとまり発展する道を捨てて、中間集団がそれぞれ競争し発展する方法しかないのでしょうか。
しかしながら霞ヶ関という中間集団がそうはさせないのでしょうね。
日本のリーダを目指す政治家がこのようなことを意識しているかも気になります。
文明を地理及び動植物の分布などの環境条件で説明しようとした仮説では、「銃・病原菌・鉄」が個人的には断然の説明力を持つものでした。
今回御指摘の本はまだ読んでいませんが、日本の地理的条件は非常に恵まれた良いものだと思います。
タイムスパンを今回の話題ほど長く取れば、日本は非常にうまくいっており、ちょっとこれから猛烈な上げの反動で押し目かな、という程度でしょう。
私の生きている間やその後の数十年は非常にアゲインストになる可能性もあり、我々はできる限りなんとかしないといけないと思いますけどね。
ちなみに私は堀江貴史氏と同世代です。
天皇陛下は日本を代表的する宗教そのものだと思うので、経済や政治の問題では極力論じるべきではないでしょう。
あえて論じるなら、1人1票という投票権を持つ国民はそれを拒絶する権利を現在のルールのなかで持っています。
更に私見を書くと、ブラック・ホールの中心(特異点)の質量は無限大です。
明治期からみても、藩閥(元老政治)、政党、軍部、官僚とその時の世界の趨勢でもっとも必要だったものを引きつけていると思います。
(軍部はわかりにくいと思いますが、間違って植民地を残していたら、国力は落ちていたと思います。)
幸運な環境条件により世界に例をみない平和な歴史を持ち、その歴史の積み重ねを経てできあがった中心なき世界なら、それを与えられた条件として最適化を進めた方が建設的であると思います。
ちなみに中心なき世界はインターネットの世界と相性が良いと考えています。官僚の情報統制は失われてきていると思います。
小池百合子を広報のトップにしたせいで、自民党の選挙ポスターが幸福実現党の選挙ポスターになってしまったと言われて、なぜ、そんなふうに言われてしまうのだろうと思っていました。先日、「20世紀少年」の「友民党」のポスターに似ていると聞かされて、そういうことだったのかと思いました。ヤバイと思いましたが、もう手遅れです。困った、、、w
しかし、歴史を文明論で語るのはよいと思いますが、社会を文明論で語るのはよくないですよ。とくに政治を文明論で語るのは危険です。官僚体制がよくないとしても、それを打破する手段が政党です。そして、政策的には、地方分権です。地方分権を提唱する政治家は、たいがい、官僚に嫌われます。財務官僚に抱き込まれた菅内閣が地方分権を推進するとは思えないですね。
日本仏教は古代から日本社会に影響を与え続けてきました。特に、中世には、庶民を管理する政治機構として寺院が位置付けられてきました。その日本仏教が思想的に単一のものではなく、いわゆる十三宗五十六派に分かれています。

このことが、今日の日本社会の特質に影響を与えているように思います。
その日本仏教も、本来の釈尊の教えへの関心と合い重なり、
変革期を迎えています。
日本の国際化にともなって、日本仏教の見直しも避けては
通れない道筋と考えています。
知的レベルの高い優秀な移民を大量に受け入れる事が、例えば成績優秀な留学生に移民の手続きをしやすくする等の措置により、仮に実現した場合、この生態系は変わると思われますか。
jestemnekoさん、
確かに文明論は思い込みになりやすいから危険ですね。しかしたまには良いと思いますよ。
例えば文明論で相場を張るなんて愚の骨頂ですが、何十年に一回の大きな曲がり角ではやっぱり大事になる。
それでしか説明できない事も出てくるし、その時の決断って普段の相場がどうでもよくなるくらい決定的に重要ですからね。
社会でも政治でもそういう局面が出てくると思います。その何十年に一回の曲がり角のためにためにはこういう議論があっても良いと思います。
毎日それをやるのは単なる言い訳作りですけどねw
たまに議論してそこで自分の考えを修正していくのが大事だと思います。
現在の日本人の7割が弥生系とのことです。 弥生人は、 せいぜい2千年前から朝鮮半島および中国から渡来したのです。 縄文系の日本人は、体毛が他のアジア人より多い事ですぐわかります。 また、壺井栄とか岡本太郎・棟方志功が縄文人の典型的な顔つきをしています。 「タテ社会」とか官僚主義とかは、弥生人の文化です。 理屈ぽくて政治好きなのも弥生系の特徴です。 したがって、 インテリ商売とか政治家稼業には、弥生系が多いです。 それから、芸能人は弥生系がほとんどです。 弥生系と縄文系
の違いについては、 長州人と薩摩人の違いとして、 幕末に日本に滞在した英国外交官のアーネスト・サトーも気が付いています。 もっとも、 西郷隆盛の顔つきは南方系ですけれど。
>日本仏教が思想的に単一のものではなく、いわゆる十三宗五十六派に分かれています。
>弥生系と縄文系の違いについては・・・
ああ、あるあるー。
こう、コミュニケーションでわかってしまう
民族論ですね。
こういうのは学生受けも案外良さそうだ。
梅棹忠夫読んでみようかな。
多神教の世界にも最高神が存在するわけですし、一神教と言ってもいろんな天使や悪魔がいてほとんど多神教と同じであったりするわけですよ。しかし、そのような共時性を語る宗教家は少ないですね。宗教とは無縁な文明論者であっても、共時性を見失った文明論はよくないと思います。
全国の赤字空港や赤字港湾を有効活用するには、地方分権を断行するしかないでしょう。過去の公共事業の痕跡が国家に地方分権を強いていると言ったほうがよいかもしれない。しかし、そのような唯物論的な案が、おかしな観念の持ち主たちに押しつぶされてしまう場合があるのです。彼らは、他の国々の事例を持ち出して、グローバリズムの時代を生き抜くために、日本は巨大な貿易港を三つつくる必要がある、などと言うわけです。とはいえ、文明論でそのような暴挙を制止することはできません。
「日本や西欧などの農耕地域に住む民族は、こうした専制国家の直接支配をまぬがれ、生態系の自生的な遷移によって農業文明から工業文明に進化した――というのが『生態史観』・・・」っていうのは、随分お手軽な議論ですね。

それで結局アジアを論じるのかと思ったら、日本はだからこうなのだ・・・って言いたいだけというのはお粗末です。じゃあローマ帝国のギリシャや西欧支配は何だったんでしょうかね?
また一神教が根付かないのは中国だって同じことで、私なんかはいつもお寺でも教会でも神社でも、節操も見境もなく「発財、発財」とお願い事をしてます。
外国の支配を受けたことのない・・・っていうのなら、オランダやイタリアはいわゆる「植民地支配」はうけていませんし、ロシアもそうです。そのへんを一切捨象して、平和なニッポン、中心のない構造のニッポンと言ってるのなら、この梅棹先生って人は大したことありませんね。
秋
私はこの手の問題提起は非常に意義深いと思います。
多くの人々は、先の戦争で空気に逆らえず「焼け野原」まで突き進んでしまった日本人達を見下しますが、我々はあれから本当に変わったといえるのでしょうか。我々が歴史から学べない愚か者にならないために、我々は何をすべきなのでしょうか。観念的に過ぎると思いますが、少し自説を述べさせてください。
文明が環境によって生まれるなら、環境を変えるしかない。しかし、環境は絶え間なく続くフィードバックの渦の中にあって、要素還元論的に環境を分解しても何も出てこないし、観測しようとすれば姿を変え、操作しようとすれば意図せぬ結果を招いてしまう。発想を変える必要があるかもしれない。
オープンシステムの時代、国家はプラットフォーム化するしかないし、国家には広い意味でのビジネスモデルが必要だ。焼け野原になる前に、国家イノベーションが起きる余地はないか。あるとすれば、クリステンセンのいう破壊的イノベーションにヒントはないか。日本で高付加価値路線でコーディネーションの失敗が起きているのだとすれば、日本人のバリューネットワークからは見えない下位国家像(だがいずれは上位国家になる)があるはずだ。若者の変化は、それを表している気もする。上位日本人には見えていない国家がそこにあるのだ。いつ転換するのか、それは何かのモデルが変わる時だ。国家が何から出来ているかは議論はあるが、今見えていない物語がある。
国家をプラットフォーム化して、イノベーションを起こす地盤を作るべきだ。そのために、まずは政治の力を強くする。弱体化した政党を戻そうなどと考えず、政治家の数を劇的に減らして、その分1人の政治家への配分を厚くする。分断化された小粒の政治家を集めるのではなく、1人の政治家を政党化するのだ。これで国民が直接的に政党に入ることになる。
すみません。言葉足らずの上に論点が変ですか。
ジャオさん、ベトナムが抜けてますよw
梅棹先生は、登山家だったということもあるでしょうけど、京都学派の「空」の思想の根拠となるものを発見しなければならないような立場にあった人だと思います。私は、西田哲学が好きになれないので、距離を置いています。
アジアの文明は、元の時代から考えたほうがよいと思います。日本の場合、鎌倉時代から考えたほうがよいでしょう。それ以前の文明を考えることが無意味とは思いませんが、観念の海に溺れてしまう恐れがある。
>国家をプラットフォーム化して、イノベーションを起こす地盤を作るべきだ。そのために、まずは政治の力を強くする。弱体化した政党を戻そうなどと考えず、政治家の数を劇的に減らして、その分1人の政治家への配分を厚くする。分断化された小粒の政治家を集めるのではなく、1人の政治家を政党化するのだ。これで国民が直接的に政党に入ることになる。
全体的に官僚の書いた文章だと思いました、それはさて置き、少数精鋭の政治家を育むのは良しとして、その続きを聞いてみたいと思いました。