リベラル・コミュニタリアン論争サンデルのテレビ番組はきのうが最終回だったが、彼の本はアマゾンではまだベストセラーの4位で、普通の本屋でもベスト10に入り始めた。日本経済が停滞期に入り、成長をあきらめた人々が所得分配に関心をもつのは自然だが、首相が「小泉改革で格差が広がった」などというワイドショー的な所信表明を行なうのは困ったものだ。当ブログでは、以前からこの話題は何度か紹介してきたので、あらためてまとめておこう。

まず経済学の立場からいうと、分配の公平というのは非常にむずかしい問題で、この分野の第一人者であるSenも、最終的な答は存在しないという答を出している。経済学の合理的選択学派やゲーム理論のメカニズムデザインは、サンデルの批判する単純な功利主義だが、それでも個人の選好を社会的に正しく集計することはできない。まして功利主義以外の多様な価値を認めると、普遍的な正義というのはありえない。

「リベラル対コミュニタリアン」の論争については、仲正昌樹藤原保信が手軽な入門書だ。本格的なサーベイとしては、スウィフト=ムルホールが主要な論点を解説している。リバタリアンの代表はノージックだが、強い批判を浴び、後年の著者は本書について語らなくなった。リベラルの代表はロールズだが、訳本(最悪の訳)は絶版になったまま新版が出ない。コミュニタリアンの代表としては、マッキンタイアをおすすめしたい。

今ではロールズ的な所得再分配のアルゴリズムは否定され、むしろ不平等の拡大によってコミュニティが崩壊し、ソーシャル・キャピタルが失われることが重要な問題と考えられている。この分野ではパットナムが有名だが、ベラ-も日本と比較したりしていておもしろい。この問題はゲーム理論でも論じられ、グライフは繰り返しゲームでソーシャル・キャピタルを説明している。Binmoreはロールズの理論を均衡選択メカニズムと解釈している。

これまでの論争からいえるのは、サンデルもいうように「絶対の正義は存在しない」ということだ。正しい分配というものはなく、不平等より平等のほうがいいとも限らない。山間僻地まで画一的に「ユニバーサル・サービス」を保証することは、都市の住民への不公正な「課税」である。ただソーシャル・キャピタルを保全するためにも、何らかのナショナル・ミニマムは必要だろう。

日本が本物の格差社会になるのはこれからだが、同時に財源も払底してきたのがつらいところで、これからは負の所得税などの効率的な福祉を考える必要がある。能力や仕事の成果によって所得が違うことはある程度は正当化できるが、20代のすべての人の生涯収入が60代より7000万円以上少ない世代間格差は明らかな不公正だ。財政赤字の本質も国債が消化できるかどうかではなく、世代間格差にある。