菅首相の経済政策に強い影響を与えている小野善康氏のインタビューが、産経に出ている。
--自民党政権時代の公共事業などの財政出動は効果が薄かった
「何の価値も生まない公共事業をするならば、それは労働者に対する失業手当と同じ。新しい価値を生み出す分野にお金を投入し、人を生かさなければ意味がない」  

--新しい価値生む分野とは?
「これまであまり育っていなかった分野では、例えば環境や観光インフラ、医療、健康などが考えられる。食料品のような必需品を支給したり、子ども手当のようにお金を配ったりすると、それまでの出費を代替してしまい、新たな雇用や需要は生まれない」
これは首相の所信表明演説とよく似ている。劇作家のレトリックに頼った鳩山前首相に比べると、経済学者が官邸スタッフに入ったことは一歩前進だし、公共投資を「景気対策」ではなく長期的な生産性を高める投資とする点も、昔のケインジアンとは違う。インフレ目標について「日銀がどうやってインフレ期待を起こすのか示さないで目標だけ出すのはナンセンス」と否定するのも妥当な意見だろう。

しかし小野氏の政策提言は、彼の複雑なマクロ動学理論とは関係なく、彼の労働についての独特の考え方から導かれる。それは「完全雇用のときは新古典派のいうように供給の効率を上げればいいが、不完全雇用のときは失業者は社会的な無駄だから政府が公共事業で雇用すべきだ」というものだ。これは古典的ケインジアンに近いが、失業は「無駄」なのだろうか。

小野氏の想定している完全雇用(自然失業率)は3%前後らしい。今の日本の完全失業率は5%前後だが、彼の推奨するように(自然失業率との差)2%分の労働者を政府が雇用したら、何が起こるだろうか。これは120万人を雇用する巨大な公共事業で、それに使われる予算は1兆円を超えるだろう。そのコストは人件費だけではなく、資本設備や原材料費も含む。

この場合に経済学で正しいコスト計算は、同じ1兆円を何に使うと効率が最大になるかという機会費用である。池尾和人氏も指摘するように、失業の機会費用がゼロであれば小野氏の議論は成立する。どんな公共事業でもゼロより高い価値を生み出すので、プロジェクトの選択は大した問題ではない。

しかし公共事業のコストがそのプロジェクトの価値を上回る場合には、1兆円のコストをかけて1000億円の価値しかないダムや地方空港を建設することがある。この場合、その損失(失業の機会費用)9000億円は失業者を雇用する便益よりはるかに大きいので、不要な地方空港を建設するより失業者を放置したほうが社会的厚生は大きい。いいかえれば、失業を減らすことができても「やってはいけない公共事業」があるのだ。

したがって小野理論の正否は、つまるところ公共事業の費用便益分析に帰着する。つねに便益が費用を上回るよい公共事業を政府が選択できるなら、失業しているよりましだが、今の日本のボロボロの財政状況は、そういう選択能力が政府にないことを示しているのではないか。「環境や観光インフラ、医療、健康」に税金をつぎこむターゲティング政策で、政府がつねに民間より賢明だという証拠はあるのだろうか。

これはソフトバンクの「光ファイバー公社」と本質的に同じ問題である。公共事業の前提は政府が絶対に間違えないということだ。世の中に絶対はないが、政府が公権力を公使する場合には絶対が求められる。市場は間違えた経済主体を淘汰するメカニズムを内蔵しているが、官僚は間違えないことを前提にして事業を起案するので、間違えた場合にも引っ込みがつかない。これが公共事業が間違える最大の原因である。

ハイエクものべたように、市場経済の最大のメリットは「パレート効率性」を実現することではなく、不完全な知識でもなんとか動き、間違えたら訂正する自由度が高いことにある。小野氏の「よい公共事業」論もソフトバンクのNTT国営化も、政府がどうやって民間より効率の高い事業を選ぶのか、そして間違えた場合にどうやって事業をやめるのかという制度設計を明示しないかぎり、危なくて採用できない。

追記:小野氏は「不完全雇用のときは公共事業の機会費用はゼロである」と明示的に書いている(『不況のメカニズム』p.168)。