アゴラでも書いたが、ソフトバンクの「アクセス回線会社」は、彼らが4年前に「竹中懇談会」に提案して却下された「光ファイバー公社」と同じものである。後者ならまだ検討の対象になるのだが、「民営」だとか「NTTの株主価値が上がる」とかわけのわからないことをいうから話が混乱する。問題は「1円も税金を投入しない」ということではなく、コントロール権(議決権)の所在である。

ブロードバンドのインフラは道路と同じだから政府が敷設すべきだ、という議論は昔からあり、そういう制度を実施している国(カナダ、オーストラリアなど)もあるので、これはナンセンスな提案ではない。しかし問題は、なぜ政府(国営企業)がやらなければならないのかということだ。これについては契約理論で厳密な議論が行なわれているが、簡単にいうと次のような場合にわけられる:
  1. 政府が完全な情報をもち、完全な契約が結べる場合:政府が全知全能なら、すべての経済活動を政府がコントロールすることが合理的である。
  2. 政府の情報が不完全だが、完全な契約が結べる場合:政府が企業を所有する必要はなく、企業を規制(契約)によってコントロールすればよい。
  3. 政府が完全な情報をもっているが、完全な契約が結べない場合:企業に機会主義的な行動の余地がある場合は、政府が企業を所有してコントロール権をもつ必要がある。
  4. 政府に完全な情報がなく、完全な契約が結べない場合:所有形態は意味をもたず、企業が分権的に問題を解決するほうが効率的である。
今回の光ファイバー公社はどうだろうか。菅首相や小野善康氏の想定するように政府が正しい情報をもっているなら、完全な計画経済は完全である。これはトートロジーで、トリヴィアルに正しいが問題にならない。政府が完全な情報をもっていなくても、完全な契約が結べれば2のケースに該当するが、通信のような複雑な産業では政府が規制によって企業をコントロールすることは困難である。

国営化が意味をもつのは、3の場合に限られる。NTTのアンバンドル規制は、これにあてはまるきわめて例外的なケースだった。他の国では、政府の規制に既存の通信業者が従わず、訴訟などで対抗したが、NTTは重要事項を否決できる1/3の株式を政府が保有していたため、政府に対して訴訟を起こすことができなかった。その結果、NTTの株主価値は毀損されたが、国民にとっては望ましい結果が実現した。

しかしこれは日本政府が正しい情報をもっていたからというより、いろいろな偶然の複合した「まぐれ当たり」であり、2度おこることは期待できない。通信速度の絶対的な上限は光ファイバーのほうが上だろうが、無線でも1Gbpsは出ており、費用対効果の点では無線のほうがまさる。それより大きな変化は、通信の主流が固定から無線に移動し、個人ユーザーの光ファイバー需要が減少する可能性があることだ。

つまりソフトバンクの計画が意味をもつためには、政府が今後30年の市場とイノベーションを完全に予見できるという条件が不可欠で、これが満たされない場合には、全国民を巻き込んで赤字事業を強行するリスクが大きい。民営化によって大きな成果を上げたNTTを国営化することは政治的に不可能であり、望ましくもない。