最近のインフラ整備をめぐる議論で、私が「ソフトバンクの利益と国益を一緒にしないでほしい」と書いたら、「企業にも社会的責任(CSR)がある」という反論をいただいたので、この問題についての経済学の考え方を紹介しておこう。CSRを否定する議論として有名なのは、フリードマンのエッセイである。彼はこう書く:
In a free-enterprise, private-property system, a corporate executive is an employee of the owners of the business. He has direct responsibility to his employers. [...] the corporate executive would be spending someone else's money for a general social interest. Insofar as his actions in accord with his "social responsibility" reduce returns to stockholders, he is spending their money.
企業の経営者は株主の代理人なので、彼の任務は株主利益を最大化することである。彼がCSRのために会社の金を使って株主利益を減らすのは、他人の金で自分の名誉を買うモラル・ハザードである。民主主義の社会では、公益を実現することは政府の役割で、そのために課税が行なわれる。その役割を経営者が行なうことは、株主に対して私的な課税を行なう結果になる。

経営者は経営の結果には責任を負うが、経済政策の失敗の責任は負わない。企業は経営者の決定によって動く「命令経済」なので、経営者は経済システムも自分の思うとおりに動くと思いがちで、その提言する政策は政府の過剰介入を求める社会主義的なものとなりがちだ(70年代には所得政策を主張する経営者が多かった)。

残念ながら、ソフトバンクの今回の提言にもフリードマンの指摘が当てはまる。全世帯に強制的に光ファイバーを敷設するという計画は、文字どおりの社会主義だ。それがソフトバンクの経営問題であれば、孫正義氏が責任を負えばよいが、アクセス回線会社の経営が行き詰まった場合、誰が責任を負うのだろうか。

「政府からは1円ももらわない」とソフトバンクは主張しているので、国策会社の赤字はソフトバンクがすべて補填するという提案なら論理的には成り立つが、この場合にはソフトバンクの株主が大きなリスクを負う。これはフリードマンの指摘するモラル・ハザードである。「絶対に失敗しないので対策は考えていない」というのでは、無謬神話で失敗を重ねてきた霞ヶ関と同じである。

ソフトバンクの経営者が責任を負うのは、第一義的には株主に対してだから、iPadのSIMロックについて「当社は利潤最大化のために抱き合わせ販売する」と主張するのは、恥ずかしいことではない。アメリカのILECは、こういうとき堂々と「これが株主のために最善だ」と主張して、規制しようとするFCCと闘う。規制によって失われる株主利益と規制による公益のどちらが大きいかは、議会(国民)が判断する。

孫氏がITインフラの改革案を発表するのはすばらしい。これまで日本の通信業者は、役所の報復を恐れてものをいわず、密室の取引で利権を守ってきた。その結果が、今の悪夢のような周波数割り当てである。これからは欧米諸国のように、民間企業が堂々と政府に論争を挑んで政策を動かすべきだ。その場合にも株主利益と公益は区別し、両者がつねに一致するかのようなレトリックは使うべきではない。

たとえば来年7月のアナログ放送終了にともなって「電波ビッグバン」を行なうと、通信業界の株主価値は高まるが、放送業界の株主価値は下がるだろう。すべての会社にとってハッピーな規制改革というのはまずないので、問題は公益の立場からどちらを優先するかである。これによって消費者が得るものは放送業界が失うものよりはるかに大きいので、ビッグバンは公益にかなう。電波行政の壁は、政治主導で官僚と業界の過去の約束を破らなければ突破できない。孫氏の突破力があれば「電波維新」は可能だと思う。