きのうのニコニコ生放送は、「ネット上の誹謗中傷を考える」というテーマで、3時間もつのかな・・・と思っていたら、冒頭から田原総一朗さんが「私はネットはよくわからない」といって30分ぐらいで本題を切り上げ、「天皇制は是か非か」といったすごい話題になった。そのとき、無理やり本題に戻そうとして、私が「2ちゃんねるは天皇制の鏡像だ」と話したのが、意外に受けたので、ここで解説しておく。

昔のコラムで書いたように、2ちゃんねるのパワーの源泉は、会社に不満をもちながら、それを上司にはいえない平社員のストレスだと思う。そこでは、会社は定年まで脱出できない共同体として自分のアイデンティティでありながら、他方では組織の強い同調圧力がストレスの原因になっている。このように会社の求心力が強いのは、日本が平和だったため国家の最高指揮官としての天皇の力が弱く、中間集団としての農村の力が強かった構造を、会社が継承したためと思われる。

だから2ちゃんねるを支えているストレスは、昔の農村で若者が感じていたストレスと似ている。村は一方では人々をつなぐ共同体だが、他方では個人を拘束する監獄だ。そこから多くの若者が都会へ脱出し、その人口移動が高度成長の最大の源泉だった。前にも紹介したように、日本の成長と人口の都市集中は重なっている。農家の次三男が都会で一旗上げようとするエネルギーが、高度成長を支えたのだ。

しかし長期不況で会社の求心力が弱まり、若年層ではそもそも「終身雇用」の呪縛がないので、匿名で他人を攻撃する2ちゃんねるのエネルギーが落ち、ニコ動のコメントもやさしくなり、中心がツイッターのように自己主張を行なうメディアに移ってきた。FacebookやLinkedInのような実名のSNSがアメリカで流行するのは、それが労働市場と結びついているからだ。個人の価値は肩書きではなく、何ができるか、どんな発言をしているかで決まる。

その意味で、2ちゃんねるが衰退してツイッター人口がアメリカに次いで世界第2位になった日本の現状は、よくも悪くも個が自立せざるをえなくなったことを示している。とはいえ、1億3000万人という単位はコミュニティにはなりえないので、今後はどういう単位で人々が中間集団をつくるのかが課題だろう。ツイッターやSNSのような仮想コミュニティだけでは物足りないだろうから、起業や企業買収で組織を再編成する必要もあるかもしれない。

そのときの最大の武器がモビリティである。先日も紹介したEconomist誌の特集で印象的なのは、新興国では多くの従業員を工場に集めるのではなく、人々を携帯電話とインターネットでつないで生産・流通を行なうという話だ。資本主義のアイコンである工場の時代が終わり、モバイル・ネットワークがそれに代わる時代が、先進国でも来れば、ケータイで自由に集まる若者がイノベーションの主役になるかもしれない。