モースの『贈与論』や本書のような古典が訳本で読める日本は、幸福な国だ。一般の読者が読んでおもしろい本ではないが、経済学が想定している市場による交換とは別のクラという贈与のメカニズムが存在するという事実だけでも知っておく価値がある。この贈与が何を意味するのかについては多くの議論があるが、中沢新一氏は解説で、その本質は互酬性(reciprocity)だとしている。これは最近の実験経済学の調査でも、ほとんどすべての社会に見られる原理である。それは必ずしも「利他的」な行動ではなく、贈与のネットワークによって社会を統合して紛争を防ぐ機能をもっている、というのがマリノフスキ以来の機能主義的な解釈である。
しかし中沢氏も指摘するように、クラには豊かなシンボリズムがあり、芸術や儀礼の役割もある。これは機能主義的な観点からは余計な部分だが、むしろこうした面にクラの本質があるのかもしれない。現代の女性が、原価数百円の香水に「シャネル」というブランドがつくと何万円も出すのと同じく、人々は古来から美的シンボルを消費してきたのである。
価値の源泉を労働に見出す古典派経済学も、その源泉を効用に見出す新古典派経済学も、こうしたシンボル的な側面を見落としている。有名な「水とダイヤモンド」の比喩でいえば、ダイヤモンドは労働生産物ではなく、大した効用(有用性)もない。女性がダイヤモンドをほしがるのは、それが有用だからではなく、彼女の社会的地位を象徴する美的な意味があるからだろう。
もちろん市場は、あらゆるものを商品として「脱意味化」するシステムであり、それを定量的に解析するには家計や企業が<何か>を最大化すると仮定するのが便利である。しかしその経済学が、成長率を決める最大の要因がイノベーションだという結論にたどりついたのは皮肉だ。イノベーションを生み出すのは労働でも効用でもなく、象徴的な意味の創造であり、「脱工業化社会」ではシンボルの価値は今後ますます高まるからである。




池田信夫『もし小泉進次郎がフリードマンの「資本主義と自由」を読んだら』
田原総一朗『生存への契約 誰がエネルギーを制するか』
池田信夫『イノベーションとは何か』
田原総一朗『日本の官僚 文部省・建設省・厚生省・郵政省編』
西和彦『ベンチャーの父 大川功』
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コメント一覧
これから80年後はだれも生きていないからもっと
いま真剣に会話しなければ!
象徴的な意味の創造が21世紀のイノベーションのキーだとするなら日本は絶望的な気がします。
過去の実績を考えてみましょう。例えば、この能力がもっとも高度に要求される分野に人文・社会科学がありますが、自然科学のように世界的に評価されたことがありません。大衆文化やサブカルチャーなどもローカル性ぬきに評価されたことはほとんどありません。
この理由が日本文化の欠点にあるのか、欧米が強すぎることにあるのかはわかりませんが、イノベーションに関するソーシャルネットワークをちょっといじったぐらいでなんとかなる問題でもないように思えるので、ある程度は諦めるべきなのかなと思います。
「事業仕分け」というのは、官僚のシンボル的な意味の世界を客観的な合理性によって無化するという意味があると思います。しかし、「事業仕分け」自体がシンボル的で、儀式的です。こういったことの根底にあるのは、支配欲であり、シンボル的な意味が持つ支配力だろうと思います。
>原価数百円の香水に「シャネル」というブランドがつくと何万円も出す
古臭い考え方だと思います。それこそ、今までの工業化社会の中でセットになっては散々消費されてきた、ただの「ブランド指向」以上のものではありませんから…
少なくとも、独占や所有を嫌い、利他的な傾向の強い今の若い世代には通じないと思います。
人間にとっての価値は極論すると対象がその個人に快の感情をもたらすか不快の感情をもたらすかによって決まると思います。
1つの対象から複数の感情が生成されるケースでは個々の優先度をどう決定するかで評価結果が変化します。その優先度を決めるスキルを身につけるのが学習ではないでしょうか。
また後天的に身につける価値感情(文化や宗教)は生得的な価値感情(生理的な欲求や原始的な安全確保)に比べて評価が大きくなりやすく、先生がおっしゃるシンボル的な価値は衣食足りた現代では主役と言えると思います。
>象徴的な意味の創造が21世紀のイノベーションのキーだとするなら日本は絶望的な気がします。
創造行為が市場自体を「脱意味化」するための機能であって、それが重要なのであって、象徴的な意味、あるいは消費されるシンボルはむしろ創造行為の残余に過ぎず、目的ではないということではないでしょうか。
都市が誕生する前は、物流が市場より互酬に依存していたのだと思います。市場は存在していたでしょうが役割はあまり大きくなかったでしょう。私は、都市が市場経済を大きくし、都市を防衛するために国家が誕生し、国家の領域を確保するために国民が誕生した、というふうに理解しているのですが、これは間違いでしょうか?
資本主義は市場経済だけでなく国家や国民とも不可分な関係にあると思います。問題なのは、市場より国家を優先する思想や政策です。国家の側には、国民という大義があるので、それがいつでも可能になる。しかし、その国民が、消費者の立場に立つとき、国家の権力を抑止することができる。たとえば、規制緩和は、消費者の声がないとなかなかやれないのですね。福田元総理が消費者庁を設立された理由がまさにそれです。私は、五十代まで民間企業に勤務しておられた総理が考えられることは深いと思いました。現実には、うまく機能しているようには思えませんが。
今も、小泉内閣の次が福田内閣であればと思うことがあります。福田内閣が四年続けば、日本はかなり良くなっていたでしょう。
世の中には色々な商品があるけど、車のイノベーションの象徴的な存在『プリウス』
これ買う人って池田さんのいうような動機で買うのか、やはり、燃費がいいとか機能重視じゃないかな
次に薬剤、シャネルが原価率が低いものとして言及されてた、まずは、シャネルの原価がそんなに安いわけない(笑)、それはそれとして、薬剤は、新しい薬剤の研究開発に莫大な費用=資金がかかるから、日本なら原価率が4割ぐらいになっているよね
次の製品を生み出す為に、利益をなるべく多くオンしてる商品は他にもあると思う
こんなわけで、池田さんのいう意味で商品をひとくくりに論じるのはいかがなものかと
それと、現代は物々交換じゃない、金銭という対価をもってシャネルを購買し入手します。このあたりも言及して欲しい
なお、日本は翻訳された書物が多い事は、池田さんに声をあわせ、豊かな国といいたいな
mochibbさん
おっしゃってることがよくわかりませんが、ここで池田先生は、経済学と社会学(あるいは人類学や科学史、哲学など含めて有意味的行為を考える学問)との境界について書いてるのではないですか。
シンボルは理知と情念の総合されたものであり、逆方向の分析的な機能性と一対のものだと思います。自然が本来の人間にとってのシンボルでしたが、分析的な知恵に基づいて、自然科学を発達させたことで、自然という時空の総合のシンボルから人類は、さまざまな文化的、経済的な機能性を抽出してきたのでしょう。そして、今や人工知能や電子工学の進化によって、知的情報や相互通信の高速化を通して、新たな知の地平を切り開いている。
総合的なシンボルと知的機能性は、ますます相互の関係性を高度なものにしていくでしょうが、御指摘のイノベーションを含むこれからの社会的な仕事を前にして、多量の知的情報からどれだけ、お互いの人間性を高め合ったり切磋琢磨するような刺激的な情報を各自が抽出し、知的情報を洗練させていくかというのも、地味ですが大切な主題の一つのように思います。そのような意味で、このような場を与えていただけるのは有難いことです。
贈与の概念は、機能性が自然から未分化であるゆえに起こる、自然と人間との無償的な関係性に起因して出て来るように思われます。それを文明社会が社会の潤滑油として再利用するのは、先祖返りというか、温故知新に通じる精神なのでしょうか。
「贈与」に主眼を置くと日本的「問題の先送り」などとも一方で共存していかねばならぬのですが、それらを横に置くとして。
もともと、市場を通じた「等価交換」が「贈与」を補完する役割を担っていたが、経済活動領域が拡大するにつれて役割が変わっていったと考えます。「贈与」の枠組みが有効に働くためには、「贈与」が行われる対象領域の規模がある程度小さくなければならず、日本の職人が「ブリコラージュ」によって匠になれるのは、その対象領域が狭いからであり、ある一時期、ある分野において日本人が多くのイノベーションを生み出せるのは、そのためであると考えます。
労働生産性が向上し、またグローバリズムによってビジネス領域が拡大され、その市場で勝負しようとすれば「市場原理」に基づくビジネス形態が圧倒的に有利であり、これに対応する方法は大きく3つかと思います。鎖国して贈与立国をつくる、贈与文化からのパラダイムシフトを行う、贈与を活かせる新分野に進出する。楽な道はなさそうです。