肉中の哲学―肉体を具有したマインドが西洋の思考に挑戦する
ジョージ・レイコフというのは日本ではほとんど知られていないが、言語学ではチョムスキーと並ぶ教祖的存在である。彼らの「メタファー」の概念は、100年前にマッハが注目した「ゲシュタルト」に近い。『感覚の分析』で「空間形態」と訳されているのが空間ゲシュタルトである。

レイコフ=ジョンソンのメタファーは、メタファーがすべて身体に由来するという疑わしい仮説を除くと、ゲシュタルトやパラダイムといった概念とほとんど同じである。この思想は、マルクスやニーチェとつながっている。

マルクスが「イデオロギー」と呼び、ニーチェが「パースペクティブ」と呼んだ概念がゲシュタルトの元祖だが、彼らが「支配階級の思想」といった利害対立で考えていた概念を、マッハは純然たる認知的な枠組として科学に応用し、これが相対性理論を生んだことは有名だ。

こうした認知論的転回の観点から考えると、メタファーの基礎に身体があるかどうかはどうでもよく、重要なのはそれが社会的に形成され、全体が個物に先立つというホーリズムである。経済学でも、たとえば消費者が「効用最大化」しているという命題は実証的に否定されており、行動経済学の示したようにフレーミングなどの概念化が意識的選択に先立つのだ。

では、そのメタファー=フレームがどうやって成立するのか、というのはきわめてむずかしい問題で、身体論だけでは答にならない。一時流行した「神経経済学」のような生物学的決定論もだめだろう。本書はその点が突き詰められず、アフォーダンスとかいうオカルトもどきの話で終わってしまう。ここから先は、認知科学にとっても経済学にとってもフロンティアである。