和歌山県のイルカ漁を撮影した映画"The Cove"がアカデミー賞を受賞した。私はその映画を見ていないが、受賞の言葉で「日本人はイルカを食うべきではない」などと語っているのを見ると、その政治的意図は明らかだ。この種の過激派は、グリーンピースやシーシェパードなどよくあるが、アカデミー賞を受けたとなると、その影響は無視できない。
イルカを年2万頭殺すことが残虐なら、年3500万頭の牛を殺すアメリカ人は何なのか。デリダもいうように、高等動物と下等動物の区別には意味がなく、人間と動物の境界も恣意的なものだ。たとえば新生児を殺したら殺人だが、妊娠3ヶ月で中絶するのは犯罪にはならない。逆に、かつては老人を「姥捨て山」に遺棄することは犯罪ではなかった。殺してはならないものの境界を決めるのはそれぞれの時代や地域の文化であり、絶対的な基準はない。
ところがキリスト教文化圏は、すべての人類に普遍的な倫理があると信じる特異な地域だ。さらに人間が神の姿に似せてつくられたという特権意識をもち、すべての動物は人間のために殺されるのが当然だと考える人間中心主義が強い。「イルカは賢いから殺すな」という主張の根底には、黒人などの「劣った民族」は殺しても奴隷にしてもよいという自民族中心主義がある。
これが昂じると、「地球を守れ」という倒錯したキャンペーンになる。冷静に考えればわかるように、人間が自然の中心として地球を守るという思想は、天動説にも等しい。地球上の生物の圧倒的多数はバクテリアであり、人類が死滅しても地球上の生態系にはほとんど影響しない。太古のままの地球を守ることが環境保護だとすれば、そんな自然はすでにほとんど存在しないし、それを守ること自体には何の意味もない。環境保護は、あくまでも人間の問題なのである。
ホルクハイマー=アドルノも指摘するように、自然を支配の対象と考える啓蒙的な合理主義が自然破壊をもたらしたが、それによって近代社会は歴史上、類のない豊かさを実現した。啓蒙が反自然的だという批判は正しいが、それを否定するなら、自然を搾取する産業社会を捨て、すべての動物の肉を食うのをやめ、化石燃料をやめて山の中で隠遁生活をするしかない。
いいかえれば、無数の生命を虐殺し、自然を破壊することは近代人の原罪であり、この罪から無縁な人間はいないのだ。それを認識しないで、CO2の削減が「文明の転換」だなどという経済学者は、西洋文明への無知をさらしている。欧米人が彼らの自民族中心主義を信じるのは自由だが、そういう偽善を無批判に輸入して「地球のいのちを守れ」と施政方針演説で語る首相は、日本の恥である。
イルカを年2万頭殺すことが残虐なら、年3500万頭の牛を殺すアメリカ人は何なのか。デリダもいうように、高等動物と下等動物の区別には意味がなく、人間と動物の境界も恣意的なものだ。たとえば新生児を殺したら殺人だが、妊娠3ヶ月で中絶するのは犯罪にはならない。逆に、かつては老人を「姥捨て山」に遺棄することは犯罪ではなかった。殺してはならないものの境界を決めるのはそれぞれの時代や地域の文化であり、絶対的な基準はない。
ところがキリスト教文化圏は、すべての人類に普遍的な倫理があると信じる特異な地域だ。さらに人間が神の姿に似せてつくられたという特権意識をもち、すべての動物は人間のために殺されるのが当然だと考える人間中心主義が強い。「イルカは賢いから殺すな」という主張の根底には、黒人などの「劣った民族」は殺しても奴隷にしてもよいという自民族中心主義がある。
これが昂じると、「地球を守れ」という倒錯したキャンペーンになる。冷静に考えればわかるように、人間が自然の中心として地球を守るという思想は、天動説にも等しい。地球上の生物の圧倒的多数はバクテリアであり、人類が死滅しても地球上の生態系にはほとんど影響しない。太古のままの地球を守ることが環境保護だとすれば、そんな自然はすでにほとんど存在しないし、それを守ること自体には何の意味もない。環境保護は、あくまでも人間の問題なのである。
ホルクハイマー=アドルノも指摘するように、自然を支配の対象と考える啓蒙的な合理主義が自然破壊をもたらしたが、それによって近代社会は歴史上、類のない豊かさを実現した。啓蒙が反自然的だという批判は正しいが、それを否定するなら、自然を搾取する産業社会を捨て、すべての動物の肉を食うのをやめ、化石燃料をやめて山の中で隠遁生活をするしかない。
いいかえれば、無数の生命を虐殺し、自然を破壊することは近代人の原罪であり、この罪から無縁な人間はいないのだ。それを認識しないで、CO2の削減が「文明の転換」だなどという経済学者は、西洋文明への無知をさらしている。欧米人が彼らの自民族中心主義を信じるのは自由だが、そういう偽善を無批判に輸入して「地球のいのちを守れ」と施政方針演説で語る首相は、日本の恥である。




池田信夫『もし小泉進次郎がフリードマンの「資本主義と自由」を読んだら』
田原総一朗『生存への契約 誰がエネルギーを制するか』
池田信夫『イノベーションとは何か』
田原総一朗『日本の官僚 文部省・建設省・厚生省・郵政省編』
西和彦『ベンチャーの父 大川功』
3・11後 日本経済はこうなる!
古典で読み解く現代経済
日本経済「余命3年」:財政危機をどう乗り越えるか
新・電波利権
宗教を生みだす本能
福田恆存 思想の〈かたち〉
中国化する日本
Thinking, Fast and Slow
Debt: The First 5,000 Years
Atomic Awakening
Power to Save the World
ジョーンズ マクロ経済学
放射能と理性
気候変動とエネルギー問題
ゲーム理論による社会科学の統合
エネルギー論争の盲点
Rational Choice
丸山眞男――理念への信
デカルトの誤り
Energy Myths and Realities
Civilization: The West and the Rest
The Enlightened Economy
Violence and Social Orders
コメント一覧
キリスト教の布教が終わったと思ったら、今度は「人権」や「環境保護」の布教が始まったようです。植民地政策の時に叫ばれた「白人の責務」と全く同じことですが、根っこが宗教だから、また100年くらいは気付かないんだろうな。
人類を救いたいという願望は、それを支配したいという衝動の、まやかしの隠れ蓑である。
――H.L.メンケン
「殺してはならないものの境界を決めるのはそれぞれの時代や地域の文化であり、絶対的な基準はない。」
全くその通りだと思う。
「殺してはならないものの境界」は"資源管理の制約"と換言できる。
エコロジー(環境)問題は人類の持続的な発展のための資源管理における制約の問題だ。
それは資源の生産と消費とそのサイクルによって定まる。普遍的な答えなど有るわけがない。管理上の要素である生産も消費もサイクルも時代(生活様式・技術)によって変わるからだ。
人類は既に先進国が消費主体の経済に限界をみた。今、消費主体を資源国へ移行しているが、それもいずれは限界をみる。その時の世界のニーズを踏まえた資源管理を磨く必要がある。生活の質を落とすことはできない。戦争を回避する資源管理が必要になる。
未来の日本は、武器を売らずに、資源管理を売ることができるのか、環境問題とはそうした問題だと理解している。
農業が工業化したように各種産業はサービス産業への転換が必要だ。環境問題は各市民が主体的に考え仕事をする機会(理解や発想の転換)を提供できる問題だが、残念ながら地球温暖化の問題だとミスリードされている。
現在から未来へ、効果的な制約を示すことが政府の仕事である。
高等教育を見直すべき。
地学だの生物だの・・・物理、政経、数学、現文・・基本的なことをどれだけ教えても、「迷信」に簡単にとりつかれる。大学で統計の見方や論理的考察力を学んでもだ。
血液型診断は一般庶民で流行っているらしいが、知的な階層でも似たようなケースはあり余るほどある。偏執症というかトンネル化(Talb風)症というか、そういう人間が政界にも多い。
週刊文春で福岡伸一氏は「遺伝子組み換え」に懐疑的だが、「遺伝子組み換え」も一種の「人間中心主義」だろうか。自然界にはフリーランチはないという事を考えるとおそろしくなるが・・・・
もしイルカ漁を辞めろと言われれば、なんだかんだ言ってもやめると思いますよ。別の仕事くれるなら。
問題は、イルカを食べることが目的ではなく、イルカ漁で生計を立てている人をどうするかでしょう。そのために町長をはじめ警察も住民も怒りをあらわにしている。彼らは町の株主であり、納税者であり、銀行を介した地方債の債権者でもある。
クジラ漁をやめた漁師がマグロ漁に流れたことでマグロを取りすぎて次はマグロの禁猟、一方漁師そのものを辞めた人間は代わりに与えられた公共事業で飯を食っていたが、小泉改革ですっかり干されてしまう有様。彼らの生活保護費をナショナルジオグラフィック協会に請求してもお金は払ってもらえないでしょう。
人の営みも自然の一部であることを認識しなければイルカの代わりに別の生物が犠牲になること、そして人を飢え死にさせるかイルカが死ぬかというロジックがあることを白人たちに伝える必要があるのでは。
漫画では岩明均の「寄生獣」も似たようなこといってますよ。なかなか素敵な漫画だと思いました。
お馬鹿コメントで申し訳ないのですが、タイトルを見た瞬間「自民党」「族議員」の意味かと思ってしまい、「どうなるんだろう」と思いながら最後まで読んでやっと分かりました。
イルカやクジラのことは分かりませんが、石炭火力発電の依存度は日本よりアメリカのほうが大きいです。世界的に見ても、日本は石炭火力発電の依存度が小さい。ウランが枯渇し、プルトニウムが使い物にならないというときに、二酸化炭素を悪玉にして石炭火力発電所を建設しないという政策は本当に困る。本気で太陽光発電が代替手段になると思っているとしたら、気がふれているとしか言いようがない。
民主党以上に社民党に腹が立つ。原発に反対するなら、なぜ、石炭火力発電を推進しないのか。昔の社会党は、炭鉱の閉山に反対していたではないか。なぜ、石炭を見捨てるのだと言いたいです。世界一の技術力があるというのに。
エントリーで論じておられることはその通りなんですが、シーシェパードとかCOVEに対抗できるアクションが無いことが最大の問題ではないでしょうか。
英語とか他の外国語で主張を展開した本を出すとか、牛3500万頭の屠殺を延々と記録した映画を制作するとか、カンガルー350万頭の掃討状況のドキュメンタリー映画を作るとか、彼等に届く主張にしないと、単なる曳かれ者の小唄になっているように思います。
それを政府でやるのは、創造性の無い話でロクなものにならないと思うのですが、民間の費用でやろうと言う呼びかけをする元気は、この国の人にはないでしょうね。
この件も、「ごまめの歯軋り」で終わると思うとションボリです。
一国の総理大臣がこの程度の知的レベルなのだから、それ以下の愚民の脳みそのレベルは推して知るべしw
まさに「戦後亡国教育」の完成形が現れていますよ。
日本の未来は明るいですね(笑)
むかし「インディアンキラーがホエールイーターを批判するなんて」と怒っていた人もいました。映画「ノッティングヒルの恋人」には、“ベジタリアン”ならぬ“フルータリアン”が登場します。植物だって動物と同じだ、殺して食べるのは不可だ、しかし地に落ちた果実なら食べてもよい、とドライフルーツしか食べない主義です(コメディ映画)。
わたし自身はこの13年間、ヴィーガン(全ての動物性蛋白質を一切摂取しない菜食主義)なのですが、昨今の動物愛護運動の盛り上がりとヨガ&マクロビオティックのブームに違和感あります。「ベジタリアンを名乗るからには氷食症になれ!」とわたしは言いたい。10年ヴィーガンをやって、貧血が極悪化、氷食症(異食症)になり、製氷皿の氷にしか食欲を感じなくなった日々。1日中氷ガリガリガリガリ食べてました。
そういえば日本で有名なヴィーガンって、秋田昌美さんとか(爆。『日本変態研究往来』)、栄養以前に個性が強烈な人ばかり。「神よりも有名になってやる!」(マドンナも菜食主義者)ではないけど、自己表現と差別化のためにそこまでやるか!?という人が目立ちます。
「ヒンドゥー教徒にとっては、神聖な存在である牛を屠殺するあなたがたが「悪魔のような生き物」なのですよ」と言っても、理解できないんでしょうね。
>池田先生
を食べてるし、広東人などはテーブル以外の四つ足

なら何でも食べるのが当たり前です。

日本人はもともと肉食じゃないから、動物を殺して食べることに何となく負い目があるんじゃないでしょうか?生命を殺して食べる宿命は西洋人にとっては原罪の一つであり、日本人にとっては生臭ものを食べないという仏教の戒律違反であるかもしれません。
だけど中国では、キリストが原罪なんて言う何千年も前から肉
啓蒙が反自然的だと否定したところで、中国人が肉を食べるのを止める訳がありません。孔子だって(肉の)膾はいくら細く切ってあっても旨いなぁ・・・っていう国であり(ちゃんと論語に書いてあります)、それがキリストなんて人の生まれる500年以上前の話ですから、いまさらチマチマとしたこと言われても困ります。
中国人が唯一、イルカ殺しに関して言うなら、「イルカは不味いから殺すな」って事だけだと思います。日本人はホントにあんな不味そうなもの食べるんですか?
趙秋瑾
二度目のコメントすいません。
現状の「異文化にも理解を!」という主張は、「地球教」のドグマに対する対抗言論としては、非常に弱いと思います。
かつて欧州の平民たちも、貴族の理不尽な仕打ちに対して「どうか慈悲を!」というふうに、「相手の良心による自制」しか求められなかったのが、「人権」という概念が発明されることによって、理不尽な仕打ちをしてくる相手を、逆に攻撃することが可能になりました。
だから欧米人のオリエンタリズムの被害を受ける国々に必要なのは、「異文化理解」によって相手の良心に訴えかけることではなく、彼らの主張が侵害するものを、彼らの神聖視するものと結びつけた、新しい攻撃的な概念の発明だと思います。
大体は納得します。
ただ、日本人として忘れていけないことがあります。
水族館などで人気のアシカ。このアシカですが、かつては日本の沿岸にも生息していた事を知っていますか?
ラッコも大人気ですが、かつては北海道沿岸に常時生息していたと言います。
世界中にカワウソはいます。その中で日本カワウソは絶滅したらしい。
日本は自然が残り哺乳類も未だに多くいます。
そんな中で、アシカ、ラッコ、カワウソが日本から消えたのは何故でしょうか?
鳩山氏の掲げる「2020年までに1990年比でCO2の25%削減」これは達成できそうです。
なぜなら2020年までに日本の経済と財政は破綻して、
主な資本や若い人材は海外へ流出してしまうからです。
目を向けるとこはみぢかにできず、他をこそとゆうかたもいますね。
彼のくには自国にプリミティブなのがないだけに、しかたないでもあります。
頭脳を輸入してばかりで内的なものは見あたりません。残念。
ここにきてイルカをなんとかゆわんとされはじめたようですが、
皮相ばかりで悲壮なかたがたと、かなしくおもってます。
人類のあゆみをもって、あらためてかんがえなおされることを祈ります。
池田様の御指摘、ごもっともとおもい、ここにコメントもうしあげます。
>9. hiratayukai 2010年03月10日 11:07
一国の総理大臣がこの程度の知的レベルなのだから、それ以下の愚民の脳みそのレベルは推して知るべしw
起業マニアの商店街のおっちゃんとか渋谷のカリスマ店員とか、あるいはpastoralな生き方を選択している田舎者のほうが、「賢い」のかもしれませんよ 笑。人間の脳なんて他人には観測できないでしょう。自分が「愚民」じゃなければ、いいでしょうけどね。
toyota叩き、シーシェパード、イルカ漁映画の背後に共通する人物像は、人種差別主義者であり優生学主義者である。
ttp://quasimoto.exblog.jp/12278881/
オバマの科学顧問ジョンホルドレンが優生学主義者だからこのような政策が行われるのであろう。
彼は1977年の「Ecoscience」という政府教書の中で、環境問題やエネルギー問題等の解決に「断種政策」による人口削減を提唱しています。アメリカのジャーナリストによるとすでに「実際に」実行しているそうです。
"Ecoscience: Population, Resources, Environment"
こちらは教書をデジタル化したもの。
ttp://www.mediafire.com/?cnecy4gbvak
<概要版>
"John Holdren, Obama's Science Czar, says: Forced abortions and mass sterilization needed to save the planet"
ttp://zombietime.com/john_holdren/
アレックス・ジョーンズ氏によると水や食品、ワクチンなど不妊化剤をいれる等すでに人口削減・抑制政策が行われているようです。
港町で買った弁当にイルカが入ってましたが、たしかにまっずいですね(笑)イルカと聞いたとたん嫌な顔して口にしなかった人もいました。東京でもイルカを食べたと話すと皆、怪訝な顔をします。
弁当屋の人の話では、売れる魚が食べられてしまうため、仕方なく捕っているという側面もあると聞きました。打ち上げられることもあるそうです。
私は、その地域の漁師が責任とって食べているんだと考えています。誰からも批判される筋合いはありませんし、むしろ尊い行為だと思います。
要するに、イルカ漁に関しても、CO2の排出に関しても、現状のままでいいじゃないか、ということですか。
フランクフルト学派の批判精神に対して批判的になった結果が、単なる現状の肯定だとしたら、浅薄極まりないように思いますが。
それとも、そうではないのでしょうか。
現状にはやはり問題があって、池田さんが批判されているのはあくまで環境保護運動の背後にある「キリスト教文化」に対してのみ。運動それ自体には一定の意義を認めている、ということでしょうか。
でしたら、キリスト教文化圏からは外れる我々日本人独自の、環境保護運動を進める思想的背景などをご披露していただきたいです。
池田さん
最後のそれを認識しないで、CO2の削減が・・・以降は、それまでの議論と内容が剥離しすぎじゃないでしょうか?
白人が自分以外は全て奴隷で黒人、黄色人種は鯨・イルカ並(以下?)と考えているのとは別に、日本の考えは隠遁生活で自然と共存にあるんだと思います。
思想の違いの議論に経済を持ち込まない方がいいですよ。
jestemnekoさんへ
この記事で石炭の議論は不毛です。
感情的になってるようなので、次の3点を数日間ちょっと考えてみてください。
(1)石油・ウランが枯渇したら、石炭になるでしょう。
ではその後に石炭が枯渇したら、次のエネルギー源は
何になるんですか?
(2)石炭火力発電所は世界一でしょう。
国内での昔の石炭発掘時には粉塵による気管障害、
人身事故もありました。これらのリスクも加わり閉山した
と聞いてます。(昔、夕張炭坑で聞いたことです)
(3)太陽光や風力は、砂漠のど真ん中でも使えます。
火力発電は蒸気エネルギーを使う以上、水が不可欠なため
建設場所は限定的です。
私も映画は見ていないですが、イルカは漁師にとっては害獣なのだそうです。そもそも他の食材と比べて食味で劣るわけですから、害獣駆除的な意味合いが強いのではないかと想像しています。そもそも日本人のほとんどはイルカを食材として口にすることもないわけですから、この映画に対して日本人が悪意を感じても仕方ないですね。
>こういうの見ると、米国人ってバカだなとつくづく思う。イルカを年2万頭殺すのが残虐なら、牛を年に3500万頭も殺すお前らは残虐じゃないのか
フジのニュースを観てて「仕返しに日本もアメリカの虐殺を見せつけろ!オスカーは獲得できませんけどね」みたいな事を言っていました(うろ覚えですが)。しかし「The Cove」と同列にノミネートされたのは「Food Inc.」です。逐一人種差別と捉えるのではなく、社会の問題を指摘してる、と素直に捉えるのが適当だと思います。この文面の理論だと女子差別撤廃条約なども自民族中心主義として吐き捨てられるのでしょうか。
もちろんシーシェパードet al.のやり方には大反対です。ただそのやり方の否定が欧米+環境保護の瑣末化まで飛躍させるのは暴論だと思います。
ほとんどの日本人はイルカも鯨も食べません。(私の親が子供の時に鯨を食べたことがあるとかその程度)しかし鯨は人間以上にまぐろなど大量に食べるから、鯨を食べる人間がいなくなってしまうと、まぐろなどの魚が絶滅してしまうという問題がある。むしろ、くじら漁などは復活させたほうが生態系を考えるとプラスの面もあると思うのですがこの点では西洋人はなぜか非論理的です。
しかしインデアンキラーがホイールイーターを批判する資格ないと思います。まず白人の多くが原住民を絶滅させたことを反省してほしい。アボリジニとかインデアンとか南米とか、まるで動物のように皆殺しにされているわけだけど…あまりこの種の告発反省映画はないよね。
>イルカを年2万頭殺すことが残虐なら、年3500万頭の牛を殺すアメリカ人は何なのか。
日本人は大体がこう思うだろうけれど、アカデミー賞を受けたのはそれだけ共感を呼ぶからである。根底にはキリスト教文化がある。牛は神から与えられた食物であり、人間の支配下にある。(申命記14:3-21,レビ記11:1-9)一方、野生動物には禁忌が多い。いるか、くじらの知能レベルが高いとかいうのは理屈であって、おそらくは幼児からのキリスト教教育が根底にあるのであろう。これに対し、日本国内向きの議論をしても不毛に終わるしかない。さすがに21世紀ともなれば異教徒には何をしても許される(アボリジニは20世紀初頭まで狩猟の対象だったが。)とはならないだろうから、こちらも頑固に自分の文化を守るしかないのではないか。
今回の記事、わかりにくい文章でした。
キリスト教文化圏を超えて現代はすべての人類に普遍的な倫理があると思います。生命・個人・思想の尊重など。
「キリスト教文化圏=人間中心=自民族中心主義=地球を守れ」の論理は飛躍しすぎです。
日本もかってはアジアに侵略し「自民族中心主義」でした。
「いいかえれば、無数の生命を虐殺し、自然を破壊することは近代人の原罪であり、この罪から無縁な人間はいないのだ。」キリスト教文化圏だけでなく儒教文化圏もそうであり自民族中心主義化しているということですよね。
「「地球のいのちを守れ」と施政方針演説で語る首相は、日本の恥である。」なんで結論がここに行き着くのでしょうか。
イルカはそれまで自由に大海を泳いでいた。豚・牛は人間は友達だと思って飼われていた。イルカは人間と戦って負けた。豚・牛は友達だと思っていた人間にいきなり殺された。
俺なら戦って死ねるイルカになりたい。
>アシカ、ラッコ、カワウソが日本から消えたのは何故でしょうか?
では、牛や豚はいくらでもふやせるから殺して良いわけですね。牛や豚はいくら殺しても、いくらでも増やせて絶滅しないから、いくらでも作っていくらでも生ゴミで出しているわけですね。そう豚や牛や物です。「生きている」として扱わなくても良いって事です。どうせいくらでも増やして殺せるんですから。
じゃ、人間もいくらでも増やせるから人口調整で殺してもOKですね。だっていくらでも増やせるんですから。豚や牛と同じで家畜扱いで奴隷のように働かせれば良いんですよ。いくらでも増やせますから。バンバン産ませてバンバン殺せば、世界の環境問題も解決して、一握りの人間が楽しく暮らせますね。
urizzebleさん、たぶん民主党か社民党の人ではないかと思いますが、あなたのような人が日本国の資源エネルギー戦略をダメにするのです。以下は経済産業省のデータです。石炭の埋蔵量は圧倒的に大きいし偏在してもいません。
http://www.enecho.meti.go.jp/genshi-az/life/world_energy/kasainensu.html
問題はウランです。ウランは100年となってますが、官僚どもがデータに細工を施しています。プルトニウムは使い物にならないので、このまま原発が増え続けるとウランは石油やLNGより先に枯渇するでしょう。
http://www.kepco.co.jp/bestmix/contents/03.html
石炭にシフトするとしても大部分が輸入炭です。国内炭の再採掘はじっくりやればいい。また、日本にサハラ砂漠はありません。
動物は人間の必要に応じて殺して役に立てるものです。そのために動物がいるのです。「殺す」ことは「虐殺する」ことではありません。

コメントを拝見してると、どうして日本人はこういう問題になると、とたんに菜食主義の聖人君子になるか、ムキになって相手の非を探すか、自爆するかの3つぐらいの方向に行きがちなんですかね。
やっぱ日本人の肉食の歴史が浅いからじゃないでしょうか。コメントされてる方々は自分で鶏を絞めたことすらないんじゃないですか? 食べるために動物を殺したこともない人には、殺すことの意味や妥当な殺し方がわからないと思います!
秋
まだムシャクシャするのでもう一度コメントさせてください。
イルカより人間の生活のほうが大事に決まっているので、そんなことを議論するつもりはないです。それより二酸化炭素と石炭です。ウランは本当に枯渇しつつある。また、核兵器の開発にもつながるため、余っていたとしても市場商品になることはありません。
ハイパーインフレで円が暴落すれば、日本の原発は動かなくなる。国内炭が価格競争力を失ったのはニクソンショックのときです。1ドル360円が1ドル300円になって価格競争力を失った。その後の円高が国内炭の採掘を不可能にしてしまいましたが、それと逆のことがウランで起きてもおかしくないのです。
私は、日本の電力の半分以上を石炭火力発電で供給すべきであると考えます。石炭は、万一の場面で国内の炭鉱を再採掘して確保できるでしょうし、地政学的にも安全な資源です。省エネ技術の開発だとかは大いにやればいいですが、太陽光発電がどうこう言ってる民主党や社民党は、国民の生活安全をまるで考えていないと思います。
>>14
今、『バフンウニの漁場が増えすぎたラッコによって壊滅的な被害を受けていて、春先の卸価格に影響』(毎日新聞)とのこと。
ラッコは守らなければならず、ウニが絶滅していいロジックって何でしょう?
>まず白人の多くが原住民を絶滅させたことを反省してほしい
残念ながらそのような思いは彼らに全くありません。原爆を落とした国が「原爆はイカン!」といったらノーベル平和賞、世界一環境破壊と資源を使う国の人がデタラメな環境破壊・温暖化情報を基に世界中を洗脳したゴアとIPCCにノーベル平和賞。
このようないい加減な自民族中心・ご都合主義なので「日本人の常識や感覚」は通用しません。
こんないいかげんな人々が掲げるイデオロギーにコロッと惚れてしまう日本人、特に環境保護、温暖化論者はどこまで自虐的で奴隷気質なのでしょうか?さらにそのイデオロギーになびかない人々を罵倒し、イジメる始末。呆れてしまいます。顔は日本人、頭は白人…。
池田先生が仰られているように
「欧米人が彼らの自民族中心主義を信じるのは自由だが、そういう偽善を無批判に輸入して「地球のいのちを守れ」と施政方針演説で語る首相は、日本の恥である。」
まさにその通りである。
またサッチャー政権時代の科学顧問クリストファーモンクトン氏も温暖化政策を隠れ蓑にして有色人種の発展を押さえる条約が盛り込まれていると指摘し警戒を呼びかけています。
"Is Obama Poised to Cede US Sovereignty?”
ttp://www.youtube.com/watch?v=PMe5dOgbu40&feature=related
<スピーチの日本語翻訳はこちら>
ttp://mamechoja.blog22.fc2.com/blog-entry-487.html
<関連記事>
【新興諸国に乗っ取られた地球温暖化問題 】
ttp://blogs.yahoo.co.jp/osanponikkoonsenmeguri/49221575.html
<重要部分抜粋>
今回のモンクトンの反対論の主旨は「COP15で各国が署名しようとしている条約草案には、すでに温室効果ガスを大量に排出した先進国が、それに見合う巨額資金(毎年670億-1400億ドル)を出し、これから排出を増やす新興市場諸国や発展途上国の環境対策費用を補填する義務が盛り込まれる。
しかも、その実施を監督するため、国連に温暖化対策のための『世界政府』を作り、条約締結国は財政、経済政策、税制、環境などの分野で国連の世界政府からの介入を受け、主権を制限される。こんな国家主権を売り渡す条約に入ってはダメだ」というものだ。(終了)
また欧米メディアやEU議会でもこのような議論までされています。
ttp://www.youtube.com/watch?v=YmNpboGDf-w
国連を中心として「世界政府」創設によりクジラ、イルカからCO2まであらゆる資源、経済活動等、あの国はこれを規制しろ、この国はこれを禁止しろとこれから「指図」するそうです。
もう一つモンクトン氏の講演動画です。地球温暖化問題への反論プレゼンテーション『Apocalyp se? No!』のラストシーン
ttp://www.youtube.com/watch?v=Qtr_h7T8QkE&feature=channel
最後に「コーブ」監督のインタビュー
ttp://www.youtube.com/watch?v=sa1SBYqrows&feature=player_embedded
「知能が高いから殺してはいけない」そうです。そしてこの映画は日本人への「ラブレター」だそうです。
CO2削減へのコミットも日本の今後の商売のための理屈。中国を牽制するための理屈。しかし根が腐った理屈を唱えているとやがては自国が精神的に破綻していくだけ。特に総量規制方式は幼稚、時代錯誤。鯨を食べてはいけませんと同じ。いくら何でもひどすぎる。米中が提案するGDP排出原単位規制ならまだしも。
みなさん。熱くなるのは、やめましょうよ。
すでに、マスコミや映画がプロパガンダの道具であることに気がついていること。
ならば、捕鯨やイルカの問題は、「私たち日本人」と「キリスト教の人たち」の考えの違いを煽って、対立・摩擦、そして、いつしか戦争に導こうとする言論誘導のひとつだという確立が高いでしょう。
日本の堪忍袋が切れて、真珠湾攻撃をしたら、どうなったか。日本中が空襲で焼け野原になったのですよね。
jestemnekoさん.
問題は政治です.
私はPuはプルサーマルで燃やせばいいと思っています. しかし, 日本でなかなか進まないのは政治的な理由です. 核アレルギーと事故への反感です.
石炭は安く, 国際的に安定供給が望める資源です. しかし, 石炭火力を新設できないのは政治的な理由です. CO2による地球温暖化です.
ミンク鯨等は絶滅の心配のない食料資源です. しかし, 捕鯨が制限されているのは政治的な理由です. 反捕鯨団体とそれを支持する人・国がいることです.
いずれも理由は本来不合理なものです. 感情的なものと言っていいでしょう. しかし, 解決するのは大変です.
------
円が暴落したら国内炭の競争力が復活すると予想していると見受けられますが, そう単純ではないような気がします. 日本は露天掘りが少ないので, 一旦閉山した炭鉱を復活させるのは無理だと昔聞いたことがあります.
また, 円が暴落したら, 色々な条件が変わるので簡単に予測するのは難しい気がします. 例えば海中ウランやメタンハイドレートが競争力を持つかもしれません. 一方で, 円暴落時に技術力を維持できるかはわかりません.
以下の問題に対してすっきりした解がないと、いくら欧米先進国が中国やミャンマーなどの人権問題を指摘しても、「なんだかなー」という感覚が私にはあります。
①豪州や北米や南米などの原住民を動物並みに絶滅させた欧米人がなぜ鯨やイルカのことで日本人を攻撃するのか?
②そもそも欧米人に日本や中国やアフリカなどの国に対して侵略や人権の問題を主張する資格があるのか?
sfdxさん、これは大間違い。
>私はPuはプルサーマルで燃やせばいいと思っています
ウランも燃やさなければプルサーマルはやれない。ウランの枯渇対策にはなりません。私も、以前はプルトニウムが燃料として使えると思っていましたが、これまで何十兆円もの血税を投入してきたのにぜんぜんダメ。赤字財政下でさらに何十兆円もの血税をプルトニウム利用のために使うことはできません。私は、財政赤字を問題にしていながら、これを問題にしない経済学者たちの無責任さにあきれているくらいです。彼らは、プルトニウムより石炭を、と言うべきです。
それと、こういうのは太陽光発電が代替手段になると本気で信じている人たちと同じくらいに、ひどい妄想であると思います。
>海中ウランやメタンハイドレートが競争力を持つかもしれません
国民生活に必要なエネルギ−を確実に確保するのが政治の役目です。石炭火力発電を普及させることがもっとも正しい政策であると考えます。
jestemnekoさん.
説明が足りなかったようです.
Puをプルサーマルで燃やす目的は, 日本にPuが増えすぎている状況を解消することです. MOX燃料は高速増殖炉の代替にはなりません.
37で主張したいことは「問題は政治だ」ということです. 合理的な手段が考えられるのに, それを政治が阻害している現状です.
> もっとも正しい政策
私はそういう話は信じません. 様々な人・企業が様々なことをやればよいのです. その中で成功する技術, 廃れる技術, 色々あるでしょう. 市場原理の中で競争すればいいのです.
しかし, 石炭火力は競争のスタートラインにすら立てない状態です. その理由は「政治」です.
------
近々異変が起きるとしたら, イスラエルによるイラン空爆が考えられます. 原油が暴騰し, 代替エネルギーの利用が本格化するかもしれません. そのとき勝者が何になるか, 私にはわかりません.
>Puをプルサーマルで燃やす目的は, 日本にPuが増えすぎている状況を解消することです
大間違いです。燃やす以上にプルトニウムが増えます。
>MOX燃料は高速増殖炉の代替にはなりません
当たり前です。そして高速増殖炉は使い物になりません。
これ以上、何十兆円もの血税をプルトニウム利用に投入することはできない。至急、石炭に切り替えるべきです。こんな、当たり前のことを言わないで、バカを言っている経済屋が多いのにうんざりしてます。
しかも、理工系人間でもないのに、日本の石炭は露天掘りができないので採算性がないとか言う。そのくせ、ニクソンショックから国内の炭鉱が赤字経営になったとは言わない。文系人間のくせにしていてです。
私は、日本が本当に技術立国を目指すのなら、石炭を確実にものにしなければならないと思う。それができないようなら、技術立国を目指すのも止めたほうがいい。
犬だろうが牛だろうが馬だろうがイルカだろうが、ヒトになついたらその時点で食えない…、文化の問題じゃなくて、コミュニケーションの問題なのでは?
少なくとも石炭産業の問題ではないでしょうw
>俺なら戦って死ねるイルカになりたい。
わたしは強い詩人になりたい。純粋になりたい。ゆえにヴィーガンに転じました。が、精進が足りません。
>動物は人間の必要に応じて殺して役に立てるものです。そのために動物がいるのです。
う~~ん、そうですか?「人間の役に立つためだけに」動物が存在しているのですか?確かに人間は地上の動植物を支配し淘汰できるだけの知性を持っていますが、その知性や力は動物を利用するためだけに与えられたものなのですか?むしろ人間は「動物たちを愛し、種の多様性を守り、全力で生態系を維持するために」そういう知性なり力なりを、誰か大いなる存在から預けられているだけでは。そして動物たちを幸せにすることで、我々人類は、より完璧な自分たちの幸福を与えられるのでは?
>どうして日本人はこういう問題になると、とたんに菜食主義の聖人君子になるか、
アドルフ・ヒトラーは厳格な菜食主義者でした。聖人君子だけがベジタリアンではありません。
>イルカより人間の生活のほうが大事に決まっているので、そんなことを議論するつもりはないです。
正確にはイルカより人間のエゴが大事と言うべきでしょうね。
欧米の環境保護団体が本当に日本のイルカ漁を止めさせたいのなら、つまらない方法(漁の邪魔や盗撮)などで時間を無駄にせず、イルカにより食い荒らされる魚の損害を、金銭で経済補償すれば良いでしょう。それくらいの寄付金くらいあるでしょう。
sponta0325 さんへ
もし真珠湾攻撃をしていなくても、米国は戦争をしかけていたでしょう。戦争をしないで全面降伏か戦争をするかという選択肢しか、日本には当時残されていなかったのが実情です。
jestemnekoさんへ
”民主党か社民党の人ではないか”、人にレッテルを貼るようでは議論になりませんね。
133年というのは2006年の消費量から単純計算したもので、今は中国の消費でさらに増えています。最終的には、せいぜいウランと変わらない程度じゃないでしょうか。
国である以上、国家100年の計は必要ですし、全てが枯渇した100年後どうするのか?というビジョンを持ってないあなたに太陽光発電について、とやかく言う権利はないでしょう。
urizzebleさん、レッテル張るなと言われても、あなたが言ってることは民主党が言ってることと同じですよ。それに、あなたは私が記載したURLさえ見ていない。ウランが100年というのは使い物にならないプルトニウムの利用も含まれているのです。また、原発は地球規模で急増する傾向にあり、一方、ウランは軍事利用の危険があるため市場商品化しない。ウランに市場経済はないのです。私は、市場原理主義者たちが原発に賛成するのは、考えが矛盾していると思う。私が市場原理主義者たち嫌うのはそういったイカサマがあるからです。私は、新自由主義の立場に立つ。日本のエネルギーは偏在しないで市場商品化している資源に依存すべきです。今ある原発は寿命が尽きるまで静かに使えばいいですが、新しく建設する発電所はすべて石炭火力発電所にすべきであると考えます。
私は、太陽光発電は新エネルギーではなく省エネルギーだと思う。ようするに補助発電にしかならない。そんなものを次世代エネルギーの本命にするのは無責任であり気がふれているとさえ思う。私は、石炭推進論者のひとりであることを誇りに思っています。
そしてコメント欄をざっと読みました。
正直、違う世界のように感じました。
同時に、私自身の無学さを自覚させられたといいますか。
情報系でテクノロジ寄りの私ですが、
今の世の中で起こることを多角的な目でとらえる事が要求されます。
ここは一種のオアシスでしょうか、勉強になりました。
しかし、コメント欄の様子がなんだかおかしいことぐらいは、
無学な私でも分かります。