拙著の「希望を捨てる勇気」というタイトルが、このごろ「日本経済をダメにする悲観論」の代名詞として使われるので、ひとこと弁明しておこう。

最後まで読んでいただけばわかるが、これは「古い経済システムを延命すれば何とかなるという希望」を捨てないかぎり、長期停滞を抜け出すことはできないという意味である。経済システムという言葉が抽象的なら、労働市場といってもよい。中高年の「終身雇用」や年金の負担を若年層に押しつけ、おまけに所得再分配の原資まで国債で調達して将来世代から1人7000万円も収奪する老人支配が問題の本質なのである。

若者は老人から財産を相続しており、これまでの世代の築いた豊かな社会の恩恵を受けているので世代間格差はそれほど大きくないという批判もあるが、深刻なのは所得よりも雇用である。先日、人事コンサルタントに「雇用規制を緩和しろという池田さんの意見には賛成だが、もうそういう局面ではない」といわれた。企業は雇用規制を回避して賃金を実質的に切り下げるテクニックを熟知しており、団塊世代の社員が大量に定年退職する欠員を契約社員で埋める労働人口全体の非正規化が進んでいるという。

この背景には、賃金コストを下げたい経営者と正社員の既得権を守りたい労働組合の結託があるので、前者を代弁する自民党も後者を代弁する民主党も、この不公平を隠して「構造改革が格差を拡大した」などと宣伝する。「コンクリートから人へ」というのは目くらましで、公共事業もバラマキ福祉も、現在世代の消費のコストを将来世代に転嫁する点では変わりない。それは国債が課税の延期であるということがわかりにくい財政錯覚を利用して、老人の既得権を丸ごと守る戦術である。

だから財政の問題は、老人支配の縮図である。現在の増税の対義語は「無駄の削減」ではなく、将来の増税なのだ。国債によって増税を延期することは、老人に収奪される若者からさらに多く収奪し、不公平を拡大することに他ならない。デフレの原因は、このような将来への不安が大きくなって消費が沈滞し、企業が投資しないで貯蓄する(自然利子率が負になる)ためであり、その不安は正しい。

かつて銀行が不良債権の処理を先送りした結果、日本の金融システムが壊滅したように、政府債務の処理をこれ以上先送りすると、財政が壊滅して日本経済は回復不可能な打撃を受けるだろう。経済を建て直すには、この大きなゆがみを是正して人々の不安を払拭することが最優先の課題である。

もちろんそれは巨大な所得移転をともなうので、政治的にはきわめて困難だが、それを放置したまま、バラマキ福祉やリフレで「日本経済の問題がかんたんに解決する」などというのは幻想である。そういう偽の希望を捨て、老人支配の構造を是正しなければ日本経済に希望がないという事実を直視することが、そこから脱却する第一歩である。