上杉隆氏との対談「検察リークと記者クラブ報道にマジレス」が終わった。すれ違いに終わるのではないかと危惧していたのだが、意外に事実認識は違わないことがわかった。主な一致点は
  • 結果としての捜査情報の漏洩という意味での広義のリークはある。それを報道することは、厳密にいえば公務員の守秘義務違反の幇助だが、これを処罰すべきではない。それをやった西山事件は、報道の自由を侵害する汚点になった。しかし2006年の最高裁判決は、取材源(公務員)を秘匿するための証言拒否を認めた。

  • 検察が民主党政権を転覆するためにメディアに情報を流して情報操作を行なう、といった狭義のリークはない。検察は捜査情報が事前にもれることを非常に警戒しており、取材はきわめて困難で、普通の官庁のように記者クラブに積極的にサービスすることはない。ただし記者が取材した場合、検察に有利なように情報に「スピン」をかけることはある。

  • 公務員の情報漏洩は世界中にあり、記者クラブとは関係ないが、日本の情報漏洩は記者クラブを介して行なわれる点が特異である。特に非公開の「記者懇」によって記者クラブの全員に情報が提供されることが多いため、加盟社全体が検察に対して「借り」を負ってしまい、それが検察に不利な情報を出さないバイアスを生む。

  • したがって問題はリークの有無ではなく、それが記者クラブを介して行なわれる「日本的」な性格である。世界的には、報道の責任は記者個人が負い、記者会見の参加資格も個人レベルでチェックされるが、日本では記者クラブ加盟社の社員は無条件に会見に参加できるため、セキュリティ上も危険である。
意見が一致しなかったのは、
  • 上杉氏は「検察報道はすべて取材源を明示すべきだ」と主張したが、私はそれは不可能だし望ましくもないと言った。NYタイムズが一時そういうルールを実施し、background informationによる報道を廃止したが、報道がきわめて困難になるため、短期間でやめた。ただ海外メディアは、なるべく取材源を明示するよう努力し、日本の新聞のように「関係者」という表現は使わない。
そんなわけで、本質的な問題はリークではなく、記者懇のような不透明な形で行なわれる官民癒着だ、という点でわれわれの意見は一致した。ネット上に横行している「検察の情報漏洩は守秘義務違反だから取り締まれ」という類の意見はナンセンスであり、西山事件のような言論弾圧をまねく。検察のリークがいいか悪いかなんて、議論する価値もない。すべてはメディアの過剰報道と談合の問題である。

記者クラブのように業界団体を通じて「卸売り」で民間人をコントロールする構造は、日本的官民関係に共通の特徴である。それは高度成長期のように業界の構造が安定し、労働者が「終身雇用」で会社に拘束される社会では有効だったかもしれないが、社会の変化が激しく、個人ベースになっている現代にはそぐわない。民主党が本気で「国のかたち」を変える気なら、記者クラブによる情報独占を排して首相官邸の記者会見を一般開放することは、付け焼き刃の「成長戦略」よりはるかに大きな意味をもつだろう。