私が京都生まれの京都育ち(高校まで)だというと、驚かれることが多い。テレビに出てくる京都人は、ていねいで物腰の柔らかい人々で、私のようにストレートにものをいうのは「江戸っ子」だと思われているようだ。しかし実際の京都人は、排他的で冷たい。ていねいに話すのは、「よそ者」に気を許していないことを示しているのだ。
これには理由がある。京都には1000年以上にわたって国家権力の中心があり、街中が戦乱に巻き込まれる体験を何度もしている。権力が変わると、きのうまでの隣人が敵に回るといった経験が繰り返されてきた結果、「一見さん」を信用しない習性が根強く残っているのだ。魯迅の小説に描かれているように、人間が国家権力と隣り合って生きていると猜疑心の固まりになる。幸い日本人は国家に対峙した経験があまりないが、京都だけは例外的に権力を意識し続けた都市である。
「京のお茶漬け」というのは落語のネタだが、それに近い風習は(少なくとも私の子供のころは)あった。「もう遅いさかい泊まっていきなはれ」といわれると、「あしたは朝早いさかい」と辞退して帰る。「泊まっていけ」というのは「早く帰れ」という暗号だが、はっきりいうと相手は気を悪くして敵に回るかもしれないので、あくまでも婉曲にいうのだ。その暗号を理解できるかどうかで敵を識別する意味もあるが、本当のよそ者が誤解して泊まったら大変なので、こういう表現の間合いはむずかしい。
京都にながく共産党府政が続いたのも、このような面従腹背の習性によるものだろう。自民党と共産党を競わせ、決して一つの権力にはコミットしない。こうして昔からマルクス主義に親しんでいるので、京都人は社会主義にも幻想を持っていない。そういう土地に育った私から見ると、国家が永遠に債務を返済してくれると信じる人や、派遣村で貧しい人々を救えと国家に求める人は、権力に裏切られたことのない幸福な日本人の典型にみえる。そういう人に限って「反権力」を語ったりするのだが。
これには理由がある。京都には1000年以上にわたって国家権力の中心があり、街中が戦乱に巻き込まれる体験を何度もしている。権力が変わると、きのうまでの隣人が敵に回るといった経験が繰り返されてきた結果、「一見さん」を信用しない習性が根強く残っているのだ。魯迅の小説に描かれているように、人間が国家権力と隣り合って生きていると猜疑心の固まりになる。幸い日本人は国家に対峙した経験があまりないが、京都だけは例外的に権力を意識し続けた都市である。
「京のお茶漬け」というのは落語のネタだが、それに近い風習は(少なくとも私の子供のころは)あった。「もう遅いさかい泊まっていきなはれ」といわれると、「あしたは朝早いさかい」と辞退して帰る。「泊まっていけ」というのは「早く帰れ」という暗号だが、はっきりいうと相手は気を悪くして敵に回るかもしれないので、あくまでも婉曲にいうのだ。その暗号を理解できるかどうかで敵を識別する意味もあるが、本当のよそ者が誤解して泊まったら大変なので、こういう表現の間合いはむずかしい。
京都にながく共産党府政が続いたのも、このような面従腹背の習性によるものだろう。自民党と共産党を競わせ、決して一つの権力にはコミットしない。こうして昔からマルクス主義に親しんでいるので、京都人は社会主義にも幻想を持っていない。そういう土地に育った私から見ると、国家が永遠に債務を返済してくれると信じる人や、派遣村で貧しい人々を救えと国家に求める人は、権力に裏切られたことのない幸福な日本人の典型にみえる。そういう人に限って「反権力」を語ったりするのだが。




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田原総一朗『生存への契約 誰がエネルギーを制するか』
池田信夫『イノベーションとは何か』
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コメント一覧
松井証券の社長の名言として「個人向け国債はハイリスク商品」なのでうちでは扱わない。というのがあります。大戦後、国債を紙くずにされて大損ぶっこいたことをおじいちゃんからずっと恨み節を聞かされていたのでしょう。
ただ、ハイパーインフレでお金持ちは大変大損ぶっこきましたが、貧困層の固定金利の借金はほとんど無意味になったのでは。(ゼロが増えたお札を突きつけてサヨウナラ)
たしかに持たざるものにとってリセット幻想はいつの時代も尽きないものなのですね。
和菓子と日本茶と言うよりも、
紅茶(ミルクたっぷり入れて更にレンジで暖めたミルク紅茶)と和菓子ですかね ニン!
あの頃の贅沢三昧だった生活を夢のように思い出しますね、がんばろう、生きなきゃね
村上光治 むらかみこうじ
kouji murakami cello-murakami Muse livedoor
今日も「ネット・・・」からの「つぶやき」でした。
ではまた。
全くその通りです!!
国は人々がいて初めて出来るもの、はっきり言って実体のない幻想です。
国家が永遠に債務を返済してくれると信じる人は他人にお金を恵んで(返済して)もらえると信じているにすぎません。
派遣村で貧しい人々を救えと国家に求める人は、自分で仕事を作らないで他人にすがる人たちか、口先だけで自ら財産を投げ打ってでも助けようとしない勘違いな人たちです。
ちょっと考えれば分かることです。
使うお金の倍のお金を借金するなんて、普通の考えではありえません。
金銭感覚の欠如です。経済学以前の幼少期の金銭の躾がない人たちが国家を動かすなんて・・・!
私たちの祖先のように、海外で日本人街を作って頑張る時期かもしれませんね。
400~500年前の東南アジアには、日本人が移り住んで栄えた町があったのを見ると、どうして今の日本人は自分の国にしがみつくようになったのか不思議に思えるときがある。
ただ、権力への懐疑からくる共産党府政は結果的に京都人の首をしめてしまったような気もします。
ちなみにある京大の先生によると、京大でさえも京都では永遠の「お客さん」なのだそうですが(とても大事にはしてもらってるが)。
今回の話は面白いですね。
書くことが無い時は同じ主張を何回も繰り返すより、
こういった歴史に基づいた社会学の話のほうが
面白いし好感が持てます。
私もこう見えて(?)実は関西人、阪神まれの北摂育ちです(大学まで)。就職した後、十数年間東京で暮らしましたが、どうも関東人は京都の実態を判っていない。京都の運転は私の知る限り日本一荒いし、関西弁の柔らかいのが京都弁ではありません。
京都人は基本的にプライドが高く排他的ですね。かつ権威には迎合的というか、表立って目上に楯突くような人は少ない気がします。表向きはともかく、他所からやってきて京都で商売するのは実質可能、と関西人の多くは思っています。陰険な性格の原因は盆地特有の自然条件(寒暖の差が激しい、山に囲まれ海が無いので息が詰まる)じゃないかと思ったりもします。
しかし、長期契約を重視しよそ者を排除するのは、日本の地方に共通する行動様式でしょう。京都人が他と違うとすれば、現在の「日本国」を信頼していないところでしょうか(依存はしているが)。「今の東京なんて野蛮な田舎侍がミカドを拉致して作った仮の幕府」とか思ってる節が無きにしも非ずです。まあ、個人的には彼らの望みどおり「帝が京にお戻りあそばして、御所で宮さんとお暮らしになってもええんとちゃいますか?」と思わないでもないですが。
言論人のプロフィール見ると京都出身の人って多いと感じるのですが、人口の面から言うと180万とそれほど多くもないです。京都は一流のものが多いので分野問わず一流の鑑識眼が身につくと堀場製作所の堀場雅夫氏なども言ってますが、僕も大学からこっちに来て、物事の本質を考えていくような姿勢が身につきました。本当不思議です。
京都人といえば、伊吹さんと谷垣さんでしょうか。伊吹さんは国会での老獪な討論を見ても、さすがと感じたことがあります。もっとも谷垣さんは高校から東京だったので、平均的な日本人という感じがします(政治家バイアスはあるので何とも言えないが)。
最近の若者はエコとか環境とかに先走る(年配は拝金、イデオロギー、小集団主義に走ったが・・)のだが、京都造成期は木を伐採しまくったし、神社仏閣や陶器、農地開拓のときも木を切りまくった。大阪や神戸、東京、横浜、札幌も歴史的大改造を行った。その上に日本人がいるわけで、京都は日本の原点ともいえる。公家(官僚・政府に近い団体)や武家(政治屋・ヤクザ・起業家)の闘争、親族間の争い(天皇家、本家と分家)は京都から拡散したのだと思う。
私の親族に神社の宮司(数百年の血統)がいますけど、農村共同体をholy precinctsとしてcommandしてる様子は百年経っても残っているような気がします。共産党も自民党も使い捨てという意識があるのも頷ける。私のような東北人はbarbarianなのかな 笑
市場価値のない人間ほど、会社の対応に不満を持つものです。
不満があれば、違い会社に移ればよいのですから。
心のなかで、自分の価値をに十分に認識しているからこそ、行きあての無い怒りを会社にぶつけているのです。
国家に文句をいう人も結局は同じ。
自分に価値がないから、国家に頼らざるを得なく、文句をいってなんとかしてもらおうとするのです。
森毅さんが「京都はヨソ者として住めば、これほど暮らし易いところはない」と仰ってましたね。名古屋も似た所があって「ヨソ者=お客さん」ですからプライベートに踏み込んで来られることもなくて楽ですよ。
東京在住の頃は東北や九州の田舎出身者と同じ職場で苦労しました。(苦笑)田舎の人は思い切り他人に干渉してくるし、すぐ怒るし、ちょっと距離を置こうとすると、すぐ村八分にされるし、仲間関係を維持するには毎日のように飲み会に付き合わなきゃ行けないし難しかったですね。
>国家に文句をいう人も結局は同じ。(義経)



そう、私みたいに別の国へ移ればいいのですから・・・
>京都にながく共産党府政が続いたのも、このような面従腹背の習性によるものだろう。
中国にながく共産党政治が続いているのも、面従腹背の習性によるものでしょうか
やれやれ・・・
良いブログで,京都人の一面がとても分かり易く参考になりました.
>そういう土地に育った私から見ると、国家が永遠に債務を返済してくれると信じる人や、派遣村で貧しい人々を救えと国家に求める人は、権力に裏切られたことのない幸福な日本人の典型にみえる。
痛烈な皮肉ですが,痛烈ながらも思わず笑いが出てくるのは,からっとしていて後にひかない文体だからでしょう.池田先生のお人柄ですね.
一生懸命求めれば,それに対してそれなりに真面目に答えようとしてくれる権力は,うわべの言葉はきれいでも取りつく島のないような権力,敵愾心しか生じないような権力よりも良いんじゃないですか.