先日の国債についての記事に、しつこく似たようなコメントがくる。どうやら世の中には財政赤字はフィクションだと本気で信じている人が、かなりいるようだ。彼らの論理は単純で、「日本の政府債務が永遠に借り換え可能であれば、債務がいくら大きくなってもデフォルトは起こりえない」というのだ。この論理は(トリヴィアルに)正しい。問題は、この結論が正しいかどうかだ。

この結論が正しいとすれば、「外債は危ないが内国債は大丈夫」といういこともありえない。債務不履行が起こらないのだから、どれだけ債務が膨張しても外債を保有し続けてくれるはずだ。「日本には個人金融資産が1400兆円ある」という話もよくあるが、世界全体の金融資産は100兆ドル以上あるので、それをすべて借りれば、政府債務がGDPの20倍以上あっても大丈夫だ。

・・・ということに論理的にはなるはずだが、彼らはなぜか「円建て債は大丈夫だがドル建ては危ない」という。その理由は「債務不履行が発生したとき、円が暴落してドル建ての債務が激増する」からだそうだが、この説明は論理的に誤っている。債務不履行のリスクがゼロであれば、暴落も債務の激増も起こりえない。「対外債務をファイナンスするために通貨を増発するとインフレになる」というが、国内債務ならインフレにならないのか。

このような奇妙な結論が導かれる原因は、「政府債務が永遠に借り換え可能だ」という最初の仮定にある。亀井静香氏を初め「財政赤字はフィクションだ」と主張する人々は、暗黙のうちに外人は売り逃げるが日本人は永遠に逃げないと仮定しているのだ。残念ながら現在の債券市場には、そういう仮定を正当化する根拠はない。

邦銀は国債の保有を法的に義務づけられているわけではないので、売り逃げるのは自由だ。しいていえば、彼らは「金融村」の横並びで買っているので逃げ遅れる可能性は高いが、相場が完全に崩れたら売るしかない。外貨建てだと債務不履行のリスクや起こったときのダメージが大きいことは確かだが、円建てだとリスクがゼロだという根拠は何もない。

「他に投資先がないから国債を買うしかない」というのも、邦銀の行動の説明としては当たっているが、彼らの融資先は国内と決まっているわけではない。海外(特に新興国)には大きな投資機会があるが、邦銀がリスクを恐れて投資しないだけだ。おかげで世界金融危機には巻き込まれないですんだが、これから海外の金利が上がってくれば、邦銀も海外投資を再開して国債の残高を減らすだろう。日本国債の金利が他国に比べて異常に低いのは、政府のリスクが低いことではなく邦銀の運用能力が低いことを示しているのだ。

政府債務のリスクを決めるのはバランスシートの大きさ自体ではなく、債権者の債務者への信頼である。たとえ政府が「絶対に債務不履行しない」と保証しても、それを信じない投資家が一定の比率を超えると、相場が暴落する。まして(現在の日本のように)政府債務を維持可能にするために必要な増税が政治的に不可能な場合、政府が意図的にインフレを起こす誘因が大きくなるから、売り逃げることが合理的だ。

すべての借金は永遠に借り換えることができれば、何の問題もない。マドフのようなネズミ講でさえ、彼が信用されているうちは破綻しなかった。銀行の信用創造も預金者が信頼しているかぎり続けられるが、取り付けが起きたら必ずつぶれる。このように資本主義の根底には自己言及的なバブルがあるので、投機によって崩壊する脆弱性をはらんでいる、と指摘したのはHyman Minskyである。それを辛うじてつなぎ止めているのは、政府や中央銀行に対する信頼だけなのだ。