財務相に横滑りした菅直人氏と、国家戦略担当相を兼務することになった仙谷由人氏は、実は「構造改革」の旗手だった・・・といっても、彼らのきらう小泉政権のことではない。菅氏の出身母体である社会民主連合は、もとは社会党で構造改革を主張し、党内闘争に敗れて離党した江田三郎氏などの結成した党である。他方『文藝春秋』によると、仙谷氏は東大法学部でフロント(構造改革派)の活動家だったという。

この構造改革というのは、トリアッティなどイタリア共産党が提唱した改良主義的な路線で、いま思えば普通の社民路線なのだが、日本ではマルクス=レーニン主義が左翼の本流だったため、社会党からも共産党からも「右派」として排除された。だから彼らの人生は、二重に屈折している。社会主義の中で主流派に対抗して社民的な改革を志したが、社会主義そのものが90年代に消滅してしまったからだ。

青春時代の学生運動の影響というのは、今の若者には想像できないだろうが、非常に大きいものだ。経済学部の学生は、東大のようにマル経の強かったところでも「近経」も勉強したので、比較すれば前者に欠陥があることがわかり、論理的に乗り越えることができる(*)。しかし菅氏のような理科系や仙谷氏のような法学部の活動家は、近経はおろかマルクスの本もほとんど読んでいないので、社会主義の何が悪かったのか納得していないだろう。つまり彼らは、社会主義を卒業しないまま「偽装転向」しただけなのだ。

菅氏が派遣労働を規制したり「官製派遣村」をつくったりする背景には、学生時代から変わらない彼の信念がある。それは「資本家が労働者を搾取している」という階級闘争の図式である。彼の「供給サイドから需要サイドへ」というわけのわからないスローガンも、「大資本から労働者へ」と読み替えればわかりやすい。

彼らにとって資本家は、労働者の上前をはねている寄生的な階級なので、民主党に投資を促進する成長戦略がないのは当たり前だ。彼らの出そうとしている公開会社法も、利益を労働者に分配することがねらいで、投資家のリスクテイクを支援する発想はない(これは池尾さんも怒るように、金融庁などの検討している公開会社法とはまったく別物)。

野党だったときは「官から民へ」と主張していた民主党が、政権につくと郵政国営化やバラマキ福祉などの「国家社会主義」に転換したのも偶然ではない。国家はブルジョアジーの権力装置だが、プロレタリアートが奪取すれば理想を実現する打ち出の小槌に化けるのだ。ここにも、マルクスの理論の致命的な欠陥が受け継がれている。それは国家論の欠如という問題だ。マルクスは下部構造を変革すれば国家は自動的に消滅すると考え、国家についてはほとんど語らなかった。

このように民主党の支離滅裂な政策をマルクス的に「裏読み」すると、それなりに一貫していることがわかる。構造改革は一度も社会の主流になったことがないので、それを政策として実施したら破綻するということを彼らはまだ理解していないが、いずれわかるだろう。仙谷氏は昨年末の「基本方針」は忘れ、成長理論の教科書でも読んで勉強してほしい。

(*) 実は「近経」学者も、1960年代までは「分権的社会主義」が可能だと考えていた。拙著参照。