Tyler Cowenが、なつかしい部門間シフト(sectoral shift)について議論している。これは1980年代に提唱され、Fischer Blackが部門別の一般均衡理論として定式化したが、学会誌には掲載されず、忘れられた。もともとこの種の理論は30年代に、ハイエクなどオーストリア学派が大量失業の原因として提唱したもので、古い産業から新しい産業へ労働人口が移行する過程で起る部門間の摩擦が失業の主要な原因だというものだ。
Menzie Chinnも示唆するように、たぶんアメリカではこの問題はそれほど重要ではないだろう。80年代以降、大規模な部門間シフトによって製造業からサービス業に労働人口が移動したため、かつては大きかった部門別の失業率の差がほとんどなくなった。しかし日本では、部門間の格差が大きい。次の図は2008年8月を1とした昨年11月までの就業者数の変化だが、サービス業がやや増えているのに対して製造業は1割近く減っている。

これはChinnの示すアメリカの80年代の状況によく似ている。当時、アメリカの製造業はドル高や日本などの追い上げで国際競争力を失い、雇用が失われた。こうした労働人口はサービス業に吸収されて、90年代にアメリカ経済は回復したのである。このときサービス業の需要はそれほど増えたわけではないが、労働の超過供給によって賃金が下がり、サービス業の競争が激化して生産性が上がった。
同じようなことが今後、日本でも起こると予想される。これまで経済を牽引してきた輸出産業は、新興国との競争にさらされているため、効率を極限まで追求して雇用を増やさず、海外生産などに移行するだろう。それによって余った労働力は、サービス業などの「内需型産業」に行くしかない。次の図のようにサービス業の労働生産性上昇率は低いので、賃金は上がらない。このため平均賃金が下がると、生産性の上昇している製造業でも賃上げが抑制されるのである。

このように生産性上昇率の大きく異なる部門が長期にわたって併存している場合、労働市場で部門間の賃金が均等化すると、生産性上昇率の低い部門の価格が上がるか、その逆に生産性上昇率の高い部門の価格が下がる。かつて日本でいわれた「生産性格差インフレ」は、前者のメカニズムによって生産性の高い製造業の価格に非製造業の価格が引き寄せられる現象をいうが、最近おこっているデフレは、後者のメカニズムによって生産性の低いサービス業の価格に製造業の価格が引き寄せられる生産性格差デフレと理解することができる。渡辺努氏は、これを次のように分析している。
話がわかりにくいと思うが、身近な例えでいうと、こういうことだ:電機メーカーと散髪屋があるとしよう。かつては電機製品の売り上げがどんどん伸びたので賃金も上がり、それにつれて(生産性の上がらない)散髪屋の職人の賃金も上がり、散髪料金も上がった。ところが90年代以降、新興国との競争によって電機製品の価格が下がったため、生産性上昇率の低い散髪屋の賃金に製造業の賃金が引き寄せられ、散髪料金も電機製品の価格も下がるデフレが生じたのである。
この説明は、ミクロ経済学的には難点がある。このように大きな生産性上昇率の差がある一方で賃金が均一だと、衰退産業はコストが圧迫されて退出し、労働人口が成長産業に移動して、限界生産性は均等化するはずだからである。しかし日本では労働市場を通じた生産性の均等化メカニズムが機能しないため、20年にわたって過剰雇用と賃金の抑制が続いている。
つまりグローバル化による新興国との競争が、労働市場の硬直性によって増幅され、全部門で労働者の賃金が間接的に新興国の水準に引き寄せられ、賃金と価格のデフレをもたらしているわけだ。「輸入品はGDPの1割程度だから新興国との競争はデフレとは無関係だ」などという人々は、こういう複雑なメカニズムを知らないのである。
Menzie Chinnも示唆するように、たぶんアメリカではこの問題はそれほど重要ではないだろう。80年代以降、大規模な部門間シフトによって製造業からサービス業に労働人口が移動したため、かつては大きかった部門別の失業率の差がほとんどなくなった。しかし日本では、部門間の格差が大きい。次の図は2008年8月を1とした昨年11月までの就業者数の変化だが、サービス業がやや増えているのに対して製造業は1割近く減っている。

これはChinnの示すアメリカの80年代の状況によく似ている。当時、アメリカの製造業はドル高や日本などの追い上げで国際競争力を失い、雇用が失われた。こうした労働人口はサービス業に吸収されて、90年代にアメリカ経済は回復したのである。このときサービス業の需要はそれほど増えたわけではないが、労働の超過供給によって賃金が下がり、サービス業の競争が激化して生産性が上がった。
同じようなことが今後、日本でも起こると予想される。これまで経済を牽引してきた輸出産業は、新興国との競争にさらされているため、効率を極限まで追求して雇用を増やさず、海外生産などに移行するだろう。それによって余った労働力は、サービス業などの「内需型産業」に行くしかない。次の図のようにサービス業の労働生産性上昇率は低いので、賃金は上がらない。このため平均賃金が下がると、生産性の上昇している製造業でも賃上げが抑制されるのである。

このように生産性上昇率の大きく異なる部門が長期にわたって併存している場合、労働市場で部門間の賃金が均等化すると、生産性上昇率の低い部門の価格が上がるか、その逆に生産性上昇率の高い部門の価格が下がる。かつて日本でいわれた「生産性格差インフレ」は、前者のメカニズムによって生産性の高い製造業の価格に非製造業の価格が引き寄せられる現象をいうが、最近おこっているデフレは、後者のメカニズムによって生産性の低いサービス業の価格に製造業の価格が引き寄せられる生産性格差デフレと理解することができる。渡辺努氏は、これを次のように分析している。
1975~95年の期間で更に興味深いのは両産業の絶対価格の動きである。この期間における価格上昇率は、機械産業で-3.4%、サービス産業で4.0%となっている。価格上昇率の差は7.4%であるから、生産性上昇率の格差(8.1%)とほぼ見合っており、この点では1955~75年の期間と変わりない。しかしこの期間の機械産業の生産性上昇率(8.9%)に比べると名目賃金上昇率は低く(5.3%)、その差が絶対価格の下落(-3.4%)として現れている。この違いの主要な原因を、渡辺氏は国際競争の激化に求めている。かつては日本の製造業の製品の競争力は高かったため、賃金の上昇を価格に転嫁できたが、現在ではそれが困難になり、価格を新興国と競争できる水準に引き下げる必要が出てきた。その結果、賃金も上昇しなくなったのである。
話がわかりにくいと思うが、身近な例えでいうと、こういうことだ:電機メーカーと散髪屋があるとしよう。かつては電機製品の売り上げがどんどん伸びたので賃金も上がり、それにつれて(生産性の上がらない)散髪屋の職人の賃金も上がり、散髪料金も上がった。ところが90年代以降、新興国との競争によって電機製品の価格が下がったため、生産性上昇率の低い散髪屋の賃金に製造業の賃金が引き寄せられ、散髪料金も電機製品の価格も下がるデフレが生じたのである。
この説明は、ミクロ経済学的には難点がある。このように大きな生産性上昇率の差がある一方で賃金が均一だと、衰退産業はコストが圧迫されて退出し、労働人口が成長産業に移動して、限界生産性は均等化するはずだからである。しかし日本では労働市場を通じた生産性の均等化メカニズムが機能しないため、20年にわたって過剰雇用と賃金の抑制が続いている。
つまりグローバル化による新興国との競争が、労働市場の硬直性によって増幅され、全部門で労働者の賃金が間接的に新興国の水準に引き寄せられ、賃金と価格のデフレをもたらしているわけだ。「輸入品はGDPの1割程度だから新興国との競争はデフレとは無関係だ」などという人々は、こういう複雑なメカニズムを知らないのである。




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コメント一覧
>内需型産業
僕なら高校の無償化ではなく、看護学校と介護の学校を全額無償にした上で介護保険なくしてデイケアサービス受けるのに全額実費にします。実は年金や保険があるから看護士や介護士の給料が安いのではないでしょうか。(老人がお金をもってないなら、同情もするところなのですが)
散髪屋、コンビニ、本屋等、全てのサービス業は人口密度の低い場所での生産性が低い。過疎地では、郵便局や学校はあっても、ファーストフードや銭湯は営業そのものが成立しない。経済産業研究所の森川正之の研究によると、人口密度が二倍になると、製造業の生産性向上は3%未満であるが、サービス業では16%以上になることが報告されている。
日本の人口が減るにつれ、田舎の人口密度は加速的に低下する。従って過疎地のサービス業の生産性は益々低下する。地域間格差とはサービス業の生産性格差といっても過言ではない。サービス産業の生産性を底上げするには人口密度の低い地域を無くすこと。過疎地からコンパクトシティへ人を移動させることである。
生産性を測る単位はなにでしょうか?
例えば、 A国とB国の床屋が同じ時間をかけて同じように坊主頭の散髪ができるとします。 ところが、散髪料は、 A国とB国の為替レートでは10対1だとします。 このとき、A国の床屋の生産性は、B国の床屋の生産性の10倍でしょうか、それとも生産性はおなじでしようか?
かって20万円もしたパソコンの1000倍もの処理能力のあるパソコンが5万円で生産できるようになりました。 このとき、 生産性は、4000倍上った、 1000倍上った、 4分の1に下がったのいずれでしようか?
日本で製造業からサービス業への移行が進まない大きな原因として、日本のサービス業は製造業と比べていわゆるブラック企業の比率が圧倒的に高いことがあると思います。
なぜか日本の対人サービス業の企業では、経営者に法令順守の意識がゼロ、入社して2年以内に社員の半分がやめる、バイトが休むと最大30時間勤務もありといった状況が日常的になっているわけで、学生の間でも「外食・小売はバイトはしても就職はするな」みたいな標語が広まっているように、サービス業=ブラックは労働市場で広く浸透している認識だと思います。実際、元旦から働かされる業界に定年まで勤めたい人はいないでしょう。
欧米のマクドナルドで店長が長時間労働で過労死したとか、フェデックスの配送仕分け所で班長がバイトを安全靴で蹴って入院させたみたいな話は聞かないので、先進国と呼ばれている国の中では日本固有なのかなと思います。それには色んな原因があると思いますが。日本においてはサービス業の生産性の向上は、カリスマ経営者が社員を洗脳してひたすら酷使する(残業していないことになっているので見かけ上は生産性が高い)ことで達成されることになると思います。
失業者と人手不足が併存するわけ http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090106
解決策はともかく理由には納得させられました。
余った労働力が行くべき先であっても、生活保護より低い賃金にならないような高い生産性であるためには、その業界について専門性が必要で、介護などは職業訓練などの公的補助が比較的充実しているが、業界の中には封建的あるいは地下社会的で、賢い労働者があまり望まれないような雰囲気の所もある。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51336286.htmlのコメント16-17の再考で、今朝ちょうど2007年頃の記事を読ませていただいていました。(国際的な完全競争に晒された分野の平均的な専門家は需要が落ちるが、真の専門家は国際的に競争力が高いため需要は落ちない。ただし不完全競争分野では平均的な専門家以下でも一定の需要がある。)
生産性論争 http://clipping.g.hatena.ne.jp/crowserpent/20070131/productivity
経済限界生産性とPPPについての超簡単な解説 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292681.html
経済賃金格差の拡大が必要だ http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292680.html
2000年中半までは多重派遣なら未経験でも採られるぐらいにはIT業界は人不足だったが、リーマンショック後は門戸を閉じた。元々過酷で中年以降は切られる傾向が強かったうえ昨今は5年経験者すらあぶれているという。建築バブル崩壊時はベテラン電気工事士が徹夜続きの仕事をさせられた挙句「辞めてくれると助かる」という話を聞いたことがあるが、今や電気工事士のほうが35歳定年説もなく業務独占資格な分マシという。心配なのは彼らが業界を去って、長期的に社会全体の効率を下げないのかということ。
不採算のために人員不足のまま専門家を酷使する職場は、何らかの改善で余った労働力が行くべき先にならないのだろうか。専門性の強い業界ではベテランの足を引っ張る新人は生産性がマイナス。それが許容され易い20代中半以降の余った労働力には、非常に敷居が高い。
若者以上のポテンシャルがある業界未経験中高年求職者がいたとして、判定コストと生産性プラス後の耐用年数を補う価値が見えなければ採用されない。かつて使い捨てた経験者が欲しい時だけまた沸いてくるというのは都合が良すぎるし、ITのような分野だと技術刷新で即戦力としてはマッチしない。
補足しておくと、ここでは(労働市場の競争によって)全産業で賃金が同一と仮定していますが、これは各部門で労働生産性が異なるという事実と矛盾しません。限界生産力説によれば、「賃金=限界生産力×価格」であり、生産性の低い部門で価格が高ければよい。
したがって、ここで「労働生産性の均等化」といっているのは全部門で生産性が同一になるという意味ではなく、生産性の変化にしたがってこの均衡条件によって労働移動が起るという意味です。
>3. Minouratさん
他の話題でご教示頂きましたので,間違っているかも知れませんが・・
>このとき、A国の床屋の生産性は、B国の床屋の生産性の10倍でしょうか、それとも生産性はおなじでしようか?
同じ時期の地理的差ですね.
為替レートがそれぞれの購買力平価にフィットしているとして,頭当たりの散髪料がA国ではB国の1/10とすると,生産性は同じではないでしょうか.散髪料が同一ですとA国における生産性はB国の10倍になりますが,そんな高い床屋はないですね.
>このとき、生産性は、4000倍上った、1000倍上った、4分の1に下がったのいずれでしようか?
同じ地域の過去と未来ですね.
20万円が5万円になったのですから生産性は1/4ですね.でも,物価の上昇をみていないから,もし2倍のインフレであれば実質生産性は1/8でしょう.1000倍能力が上がっても,それでも5万円でしか売れないのですから.
こう考えてみると,経済成長(GDP)って一体何だろうかと疑問です.泥棒村やケインズの穴を掘ってまた埋めてという公共事業・・,GDPは金額よりも未来に何を産み出すかその質だと私は思います.
素人目線ですが、生産性というと、前提条件をはっきりさせて換算して狭い範囲で抽象的・要素的に出す生産力、大量生産時代の需要を軽視した生産性、簿記みたいな途中の段階の利益しか見ない生産性、いろいろあるのにごっちゃにして議論して錯綜していた印象をうけました。限界生産力というのを勉強させていただきましたが、概念自体は表層的に理解できても、これを別の意味の生産力で語っている相手との議論の中で用いるのって大変そう。換算抜きに交易条件を含めた話も混ざってくるし。