ゼロ金利との闘い―日銀の金融政策を総括する日銀の政策をめぐるメディアの反応をみていると、まるで10年ぐらい前に戻ったような既視感をおぼえる。当時も「日銀の量的緩和は物足りない」「もっと大胆な姿勢を示せ」といった論評一色だった。また同じような勇ましいコメントをしている自称エコノミスト諸氏には、せめて本書ぐらい読んでほしいものだ。

本書が出版されたのは5年前だが、デフレとゼロ金利をめぐる理論的・実証的な研究をほぼ網羅的にサーベイしている。著者は日銀の審議委員だったので、「日銀理論」のバイアスはあるだろうが、彼もいうように日銀はそれなりに努力してリフレ的な政策を実施したのである。ただ、この種の政策には次のような問題点がある:
  • ゼロ金利になると、それ以上マネタリーベースを増やしてもマネーストックは増えず、インフレ率に影響を及ぼさない
  • 日銀がインフレ予想に影響を与えるには、一時的なマネタリーベースの増加ではなく、長期にわたって持続的に増加させるコミットメントが必要である
  • しかしこうした政策の結果、インフレが起こったら日銀はマネタリーベースの増加を止めるので、永遠にインフレが続くことはありえない
したがってKrugmanのいうような素朴な人為的インフレ政策は時間非整合的であり、市場を攪乱するだけである。そこで日銀が採用したのは、デフレを脱却しても持続的にゼロ以上のインフレが続くまで緩和を続けるという時間軸政策だった。これはWoodfordなどが提案した「修正テイラールール」と実質的には同じであり、一定の効果はあったというのが著者の実証分析による評価である。しかし「もっと激しくやれ」という声がつねにある。これに対して、著者はこう答える:
資源配分への悪影響、中央銀行の財務状態をへの配慮等を無視してよければ、デフレの克服はたやすい。財を大量に購入して廃棄するということを続ければ、デフレは止まる。中央銀行が政府の代わりに公共投資を大量に実施しても同じである。あるいは大量に株式を購入し、株主としてその企業に設備投資を命じることも考えられる。

なぜこうした政策を実施しないかといえば、1、2%のデフレのコストは、自動車やパソコンを大量購入して廃棄するコストに比べれば小さいと考えられるからである。大恐慌時のような10%を超えるデフレのときには、こうした政策も検討対象になろうし、現実に実施されもした。ただし実施主体は中央銀行ではなく、政府であった。国民に大きな負担が発生するかもしれないような政策は、投票によって選ばれている政治家が決めるものと考えるべきだろう。
(pp.185-6)
今回、日銀が行なう量的緩和も当時とほとんど同じもので、効果は限定的だ。「長めの金利をゼロに誘導する」ことによる緩和効果はあるが、日銀が金利の期間構造に介入することで金融市場のリスク配分をゆがめる。また国債を日銀が引き受けることは、財政規律を失わせる。コストなしでデフレを撃退する「フリーランチ」はないのである。

「日銀はバランスシートが毀損することを過度に恐れている」という批判は当たっている面もあるが、現在の日銀法では日銀が債務超過になった場合にも政府が救済することはできない。日銀が破綻を覚悟でオペを続けることは、狭義の金融政策を超える財政政策の一種であり、財務省と協議して首相の決裁を得た上で行なうべきものだろう。