イノベーションといえば「創造的破壊」というのが、シュンペーター以来の定番だが、これはいささか誤解をまねく言葉だ。ベンチャー企業を調査したBhideによれば、大成功したベンチャーは、多くの場合まったく新しいブルーオーシャンを開拓した企業で、既存の企業と闘って倒したようにみえるのは、その結果にすぎない。

たとえばPCの登場によってメインフレームは没落したと思われているが、その売り上げは1982年の160億ドルが1997年に162億ドルになっており、絶対的には縮小していない。変化したのはそのシェアで、コンピュータ業界全体の42%から9%に下がった。しかもIBMは、当初はPCをメインフレームの代替財とは考えなかったので、独立ビジネスユニットで自由に開発させた。

1981年にできたIBM-PCは、その段階ではメインフレームと競合しない「おもちゃ」だったが、10年後にはIBMを経営破綻の淵に追い詰める商品になった。この歴史は今から振り返ると「ビル・ゲイツが巨人IBMを倒した」と見えるが、当時は誰もそうは思っていなかった。マイクロソフトは、IBMの下請けとして出発し、最初はひさしを借りて徐々に母屋を乗っ取ったのだ。

クリステンセンもいいうように、破壊的イノベーションは、最初は既存企業に笑われるような「低品質・低価格」のニッチ商品として登場し、「何に使うのかわからない」などといわれる。誰も相手にしないから、知らないうちに業界標準になっていて、ある日「キラー・アプリケーション」(PCの場合は表計算)が登場して、爆発的に普及する。そのときは、もう既存のメーカーは追いつけない――というほとんど定型的なパターンをたどるのがIT業界のマーフィーの法則だ。

インターネットもそうだった。TCP/IPができた1980年代、世界中の政府も通信機メーカーもOSIの標準化作業に熱中していて、ボランティアの技術者の非営利ネットワークなんて誰も相手にしなかった。それは業務用のVAN――これは大市場だと信じられ、IBMやAT&Tが参入していた――とは違うアマチュア向けの市場だと思われていたので、どこの国も標準化も規制もしなかったのだ。それが結果的に、OSIもISDNも破壊する代替財になったのは、WWWやブラウザが普及した1994年以降である。

だから既存の企業にチャレンジする気概は大事だが、実際には(当初は)なるべくチャレンジしないほうがいい。これは先日も紹介した中国の郷鎮企業にも通じる点だ。既存企業の知らない分野で、誰もやっていないビジネスを見つける非破壊的創造が起業の秘訣である。