きのうのアゴラ起業塾では、民主党の藤末健三氏にきびしい注文がついたが、中でも秀逸だったのは、郵政省の元高官の「あの行政刷新会議というのは何をやっているのか」という質問だった。「何が無駄かという基準がなければ、無駄をなくすことはできない。その基準を決める国家戦略室が開店休業状態なのに、誰がどういう基準で無駄と判断するのか。これはコンピュータでいえば、設計が決まってないのにデバッグをやるようなものだ」。

藤末氏も、戦略室が機能してないことは認めた。これは本来は財務省主計局に代わって各省庁の司令塔となるはずだったが、藤井財務相が「予算編成はわれわれの仕事だ」と反発したため、概算要求にも戦略室はまったく関与できず、菅直人氏は概算要求が締め切られた日の夜のNHKの番組で、「私も数字の中身はまだ見てない」と言っていた。戦略室は今のところ法的根拠のない暫定的な組織だが、「戦略局」に昇格させる法案の提出も通常国会に延期された。

このように「骨太の方針」が決まってないのに、「事業仕分け」で小骨ばかり取っても、子ども手当などで7兆円増えるのを埋め合わせることはできない。テレビの編集でいえば、45分番組の編集が90分になったとき、各シーンを1分ずつ削ったりしていたら番組にならない。プロデューサーが「どの話がいらないか」という方針を決めて、10分ぐらいのシーンを丸ごと落とすのだ。

すべての行政サービスには法的根拠があり、その意味では無駄はない。概算要求で「三役査定」が失敗したように、既存の法律を前提にすると「その業務は**法で決まっている」と官僚にいわれたら終わりだ。何が無駄かを決めるには、まず規制撤廃によって政府の民間への関与を減らす必要があるのだ。法律を撤廃すれば「大きな無駄」はいくらでもある。たとえば農水省を廃止すれば、一挙に3兆円も減らせる。

ところが「小泉・竹中改革」を藁人形に仕立てるワイドショー的な方針をとった民主党のマニフェストには、「規制改革」という言葉さえない。かつて岡田克也氏や前原誠司氏は「構造改革を応援する」と言っていたが、「政策より政局」の小沢一郎氏がそれを封じ込めたため、いざ政権をとると戦略の立てようがないのだ。

このまま形ばかりの「無駄取り作業」を続けるのは無駄である。幸か不幸か小沢氏が横槍を入れたようなので、にわか仕立ての「仕分人」チームは解散し、まず政府の仕事のうち何がコアで何が不要かという骨太の戦略を決めるのが先だ。