ニーチェは「来るべき200年はニヒリズムの時代になるだろう」という言葉を遺し、狂気の中で20世紀の始まる前年に世を去ったが、彼の予言はますますリアリティを増しつつある。よく誤解されるように彼は「神を殺す」ニヒリズムを主張したのではなく、「神が自然死する」ことによって西洋世界が深い混迷に陥ることを予言し、それを克服する思想を構築しようとして果たせなかったのである。

本書はこのニーチェの予言を軸として、ウェーバー、フロイト、ベンヤミン、アドルノの4人の思想をスケッチしたものだ。ウェーバーとニーチェという組み合わせは奇異に感じる人がいるかもしれないが、ウェーバーは姜尚中氏の描くような「市場原理主義」をなげく凡庸な合理的知識人ではなく、ニーチェの影響を強く受け、キリスト教のニヒリズム的な側面が近代社会の合理的支配を自壊させると考えていた。

中心は著者の専門でもあるアドルノ論である。ヒトラーによって故郷を追われたアドルノは、ホルクハイマーとともに『啓蒙の弁証法』を書き、進歩をもたらすべき近代合理主義が、なぜ史上空前の大量破壊をもたらしたかを古代ギリシャにさかのぼって考察した。そこで彼らが見出したのは、ニーチェが批判してハイデガーに受け継がれた、自然の中に超越的真理を発見して支配する形而上学だった。近代の啓蒙主義は、その自然に対する支配の原理を科学技術という形で純化したにすぎない。

啓蒙的合理主義は西洋世界の比類ない経済的発展をもたらしたが、それはすべての彼岸的秩序を疑い、人々の帰るべき故郷を破壊してしまった。啓蒙は手段的合理性によって壮大な物質的富をもたらしたが、それはすべての目的や意味を否定するニヒリズムとなり、人々の精神的なよりどころを徹底的に否定したのだ。与えられた目的が正しいか否かを問わないで効率的に実行する啓蒙的テクノロジーが原初的な破壊本能と結びついたとき、アウシュヴィッツが生まれた。

しかしウェーバーもアドルノも、失われた故郷や伝統を取り戻せとは主張しなかった。啓蒙は不可逆の過程であり、近代の数百年の歴史の中で失われてしまった古きよき神話的世界を人工的に復元することはできないからだ。ニヒリズムがどんな宗教よりも強力なのは、それが人々に帰るべき故郷など元々ないという身も蓋もない事実を告げるからなのである。