先日、紹介したクルーグマンのエッセイにレヴィン池尾さんも怒っているが、いちばん頭にきているのは、名指しでバカ扱いされたコクランだ(原論文はここ)。
クルーグマンは効率的市場仮説(EMH)を批判しているが、それを理解してないようだ。彼は「経済学者がバブル崩壊を予想できなかった」というが、誰も市場の動きを正確に予想することはできないというのがEMHの基本命題で、今回の事件はそれを証明したのだ。いっておくが、市場が「効率的」だというのは「安定している」という意味じゃないよ。

市場経済の本質はそれが完全だということじゃなく、ハイエクが言ったように、それが不完全な知識でもどうにか動くということだ。クルーグマンは政府が市場より賢明だと想定しているが、超低金利を続けて資金過剰を作り出し、ファニー・フレディーに事実上の債務保証を与えて住宅バブルを生み出した政府が、市場より賢いと信じている経済学者は彼ぐらいのものだろう。人々が不合理だという行動経済学の主張は正しいが、同様に政府も不合理なのだ。

特に支離滅裂なのは、彼が70年前のケインズ理論を擁護している部分だ。ケインズが書いたように穴を掘って埋めようともGDPさえふくらめばいいというのなら、マドフは英雄だ。彼は投資家の余剰資金を預かって、それを派手に使う人々(彼自身を含む)に与え、「有効需要」の増加に貢献した。この理論によれば、政府の財政資金がすべて盗まれるのがいちばん簡単で効果的だ。泥棒の限界消費性向はきわめて高いからだ。

経済学の現状についてのクルーグマンの理解は、30年前で止まっている。われわれはKydland-Prescottの1982年の理論を復唱しているわけではなく、現在の研究の主眼はどのような不完全性や摩擦があるかを実証的に検証することだ。クルーグマンは実証には関心がないようだが、「真水理論」は実証研究のベンチマークにすぎない。彼は「経済学は数学的に複雑になりすぎた」というが、問題は逆だ。今のマクロ経済学は、この複雑な経済を扱うには単純すぎるんだよ。
私はマクロ経済学の専門家ではないので印象論でいうと、レヴィンも指摘するように、ケインズ的な財政政策を支持するクルーグマンの議論は理論的にあやふやで、実証的にもおかしい。オバマ政権の巨額の財政政策がほとんど執行されないうちに、景気は回復してきた(これは日本でも同じ)。クルーグマンの素朴ケインズ主義は、コクランもいうように、民主党政権を応援する政治的なにおいが強い。

ただしその他の部分については、クルーグマンの批判は理解できる。超合理的個人=計画当局による永遠の未来までの計画(ダイナミック・プログラミング)をベンチマークとする理論に異質性や不完全性を入れても、それは天動説に惑星の「異質性」を入れるようなものだ。コクランのいうように、今後もっと複雑なハイテク経済理論が生まれる可能性は(論理的には)否定できないが、それは今の真水理論の延長ではないだろう。トマス・クーンも指摘したように、科学と宗教に本質的な違いがないとすれば、多くの若い研究者が真水理論への信仰を失い始めていることは間違いない。