田中秀臣氏によれば、「白川総裁、上海で池田信夫と化す」とのことだ。
1990年代後半以降、日本の政策当局に対し、国内外のエコノミストや国際機関から様々な政策提言がなされたことは記憶に新しいと思います。[・・・]中でも、最も有名な提言の1つは、「無責任な政策にクレディブルにコミットすべし」というものです。興味深いことに、今回の危機では、急速な景気の落ち込みにもかかわらず、エコノミスト達からは、同様の大胆な政策提案は行われていませんし、そうした急進的な措置も実施されていません。
日銀総裁が私と同じ意見だとすれば名誉なことだが、これは事実を語っているだけだ。かつてリフレ派が日銀を攻撃して「世界標準の政策」だとか称していた人為的インフレ政策を採用した中央銀行は、どこにも存在しない。その教祖バーナンキは、「インフレを阻止するためには金融引き締めが必要になる」とのべている。クルーグマンも撤回した(なぜか日本にだけは人為的インフレを迫っているが、日銀は英語が読めないとでも思っているのだろうか)。マンキューも一時、人為的インフレを提案したが、私がEメールで問い合わせたところ、クルーグマンの1998年の論文も読んでいなかった。その後は、彼もこの種の議論はやめた。

こういう不毛な議論がいつまでも続くのは、日本の経済学界がガラパゴス化している証拠だが、マクロ経済学にも問題がある。Economist誌も批判するように、現在のマクロ経済学では金融危機は起こりえないので、それについて理論的には何もいえない。無理やり問題をマクロ経済学の中だけで理解すると、人為的インフレのようなナンセンスな政策しか出てこない。アカロフ=シラーも指摘するように、危機管理でもっとも重要なのは金融システムに対する信頼であり、金利や通貨供給量などのマクロ変数はその補助的な手段にすぎない。ところが、どうやって信頼を回復するかという中央銀行にとってもっとも切実な問題に答える理論が存在しないのだ。

私は経済学は物理学ではなく医学に学ぶべきだと思うが、今のマクロ経済学は、健康診断は精密にできるが、病気になったら診断も治療もできない医学のようなものだ。医学にとって「本番」は危機管理であり、体温や血圧を予測することではない。手元に血圧計しかないからといって、ガン患者の血圧だけを見て「血圧降下剤をもっと投与しろ」という医者は失格である。日本の政治家が経済学を無視した政策ばかり出してくるのは、彼らがそれを理解していないことも事実だが、こうした経済学の実態を経験的に知っているからだ。医学を無視した民間治療は役に立たないが、経済学はもともと民間療法みたいなものなので、それを無視しても大した実害はないと思われている。

こういう批判は、私の学生のころから繰り返され、経済学もそれなりに努力してきたが、現実との距離は縮まっていない。最大の問題は、経済学者のインセンティブが歪んでいることだ。彼らにとって重要なのは学界で出世することで、そのためには国際学会誌に論文を載せることが重要なので、その基準にあわない研究はしない。このように形だけは自然科学に似せているが、実証データで反証された理論は棄却するという科学の原則は無視して、「美学的」な基準でモデルを選ぶ。経済学者の役に立つ経済学ではなく、経済の役に立つ経済学が必要である。