日本人は戦略的行動が苦手だとよくいわれるが、その原因はゲーム理論でよく知られるフォーク定理で説明できる。これは経済学部の学生なら知っているが、90年代以前に勉強した人には何のことかわからないようなので、簡単に説明しておこう。長文でテクニカルなので、ゲーム理論に興味のない人は読む必要はない。

ゲーム理論というと、囚人のジレンマぐらいは知っている人が多いだろう。これは図のように、2人のプレイヤーが協力(C)するほうが裏切る(D)より望ましいのだが、合理的に行動すると両方とも裏切ることがナッシュ均衡になるゲームだ:


このパラドックスは、1回限りのゲームを考えるかぎり避けることができないが、ゲームが無限回くり返されるとすると、避ける方法がある。プレイヤーAが一方的に裏切ることによって得られる一時的利益は3だが、2回目のゲームからは相手のプレイヤーBも頭にきて裏切ると、両方とも利得は1になるから、プレイヤーAの長期的利益は3+1+1+・・・。これに対して両方が協力することによる長期的利益は2+2+2+・・・となり、3回以上ゲームが続くなら協力した方が得になる。

一般的に書くと、両方とも裏切る場合の利得を1に標準化し、一方的な裏切りによる利得をD、双方の協力による利得をC、ゲームが次回も続く確率(割引因子)をδとして利得の割引現在価値を考える。双方が裏切られた相手には永遠に復讐する戦略(引き金戦略)をとると、裏切りによる長期的利益πDは、無限等比級数の和の公式より、

 πD=D+δ・1+δ2・1+・・・=D+δ/(1-δ)

他方、協力による長期的利益πC

 πC=C+δC+δ2C+・・・=C/(1-δ)

協力が合理的な行動になるのは、πC>πDとなるとき、すなわち

 δ>(D-C)/(D-1)・・・(*)

したがってゲームの続く確率δが高く、協力によって得られるレントCが大きい(または裏切りによって得られる利益Dが小さい)ときは、長期的利益が一時的利益を上回るので、協力することが合理的な行動(サブゲーム完全均衡)になる。これがフォーク定理で、日常語でいうと、
長期的関係を守ることによって期待できる将来の利益が大きく、誰もが長期的関係を守るときは、相手の裏をかく戦略的行動より互いに協力する長期的関係を守るほうが合理的である
ということになる。戦後の日本で系列関係や長期雇用のような長期的関係が支配的だったのは、この意味で合理的な行動として説明できる。高い成長率が長期にわたって続くと誰もが期待しているときは、一時的にもうけて取引を切られるより互いに辛抱して長期的利益(レント)を得たほうが得であり、若いとき「雑巾がけ」して年をとってから高い年功賃金を得ることが合理的だ。

したがって長期的関係が成立する上で重要なのは、長期的利益が一時的利益より大きいことだ。いま日本で起きている変化は、「右肩上がり」の時代が終わって長期的利益が低下する一方、グローバル化によって長期的関係を切ってコストを削減する一時的利益が高まっていることだ。上の(*)式でいうと、Cが下がってDが上がるので(*)が成り立つδの最小値が大きくなるが、長期的関係は減るのでδは下がる。これによって(*)式は成り立ちにくくなり、さらにCが下がる・・・というループに入る。

今の日本では、このようにゲームの規則が長期的関係から戦略的行動に切り替えられる根本的な変化が起こっているのだが、それに気づいている人は少ない。誤って昔のままの利得構造を想定すると、いつまでもゾンビ企業を延命して赤字を垂れ流し、未来のない職場で人生を浪費する結果になる。この変化を「市場原理主義」などと呼んで拒否するのは勝手だが、いくら嫌悪しても、この変化は元に戻すことができない。よくも悪くも、われわれは資本主義という永遠に変化し続けないと維持できないシステムを選んでしまったからだ。

*ちゃんと勉強したい人は、ギボンズの2.3.B参照。