Economist誌に「マクロ経済学の暗黒時代」を作り出した元凶と名指しされたロバート・ルーカスが、これに反論しているが、今ひとつ切れがよくない。効率的市場仮説については、こう弁護する:
Over the years exceptions [of the EMH] and “anomalies” have been discovered (even tiny departures are interesting if you are managing enough money) but for the purposes of macroeconomic analysis and forecasting these departures are too small to matter. The main lesson we should take away from the EMH for policymaking purposes is the futility of trying to deal with crises and recessions by finding central bankers and regulators who can identify and puncture bubbles.
今回の「アノマリー」が"too small to matter"というのはいかがなものか。EMHの結論が「バブルは予知できないので危機管理はできない」ということだとすれば、"valueless, even harmful, mathematical models"と批判されても仕方がないだろう。またDSGEが役に立たない証拠としてEconomistがあげたFRBの2007年のシミュレーションをこう擁護する:
Yet the simulations were not presented as assurance that no crisis would occur, but as a forecast of what could be expected conditional on a crisis not occurring. Until the Lehman failure the recession was pretty typical of the modest downturns of the post-war period.
危機が起こらないという前提でシミュレーションをやったら、起こらないという結論が出るのは当たり前だ。問題は、なぜこんな大きな危機が起こったのかということだが、それはマクロ経済学の外の政治の失敗だとルーカスは考えているようだ。すべての人々が集計的な需要関数を知っていると仮定する彼の理論では、バブルは起こりえないからだ。そこでは市場はつねにクリアされているので、不良資産も流動性不足も起こりえない。したがってその対策も理論的には導けず、危機管理は手さぐりでやるしかない。

つまり均衡理論的なマクロ経済学は、巨大な不均衡の持続している危機では何の役にも立たないのだ(これはルーカスも認めている)。経済が普通に動いているときはマクロ経済学なんか必要ないので、危機のとき役に立たない理論というのはvaluelessである。これはEconomistだけではなくアカロフ=シラーのような彼の先輩も批判していることで、人々が完全な情報をもとに合理的に行動するという事実に反する仮定を修正するしかない。

ルーカスもいうように、こういう欠点は既知の問題で、それよりいい理論があったら出してみろ、ということに尽きる。「アニマル・スピリッツ」にもとづく経済学に、ルーカスの生み出したような膨大な数の論文を生み出す「パズルの生産力」があるかどうかは怪しいが、重要なのは経済学界を維持する力ではなく事実を説明する力である。アカロフたちもいうように「経済理論はアダム・スミスの体系から最低限の逸脱しかしないように導かれるのではなく、実際に起こっていて観察もできる逸脱をもとに構築されるべきだ」。