
著者は、この言葉は使う人ごとに違う意味で都合よく使われ、ほとんど無定義語になっていると批判する。これはチェスブロウの2003年の本のタイトルだが、もともとかなり曖昧な概念だった。オープンの意味が「技術をすべて公開しろ」という意味ならナンセンスだし、「必要なものはオープンにしろ」という意味なら自明だ。何をオープンにして何をクローズドにするかという基準なしに流行語を使っても、戦略として意味をなさない。
本書のいささかベタなタイトルの答は、「いくら要素技術が優秀でもプラットフォームを取られたら負ける」というものだ。インテルにせよマイクロソフトにせよアップルにせよ、ゲームのルールを自分に都合よくつくった者が勝つのは当たり前で、そのルールのもとでいくらまじめに技術開発しても、iPodの売り上げの半分はアップルが取ってしまう。
特にアメリカ企業の戦略は、得意分野のソフトウェアに特化し、苦手な「ものづくり」を新興国にアウトソースして水平分業に持ち込むのが定石だ。これは新興国と利害が一致するので、日本は両者の挟撃を受けて不利な立場に立たされている。水平分業が最適だとは限らないが、「すり合わせの適した製品もある」などといっても始まらない。少なくとも情報関連産業では水平分業化の流れは変わらないので、日本もものづくりにこだわらないプラットフォーム戦略を考える必要がある。
前にも書いたように、イノベーションの本質はフレーミングだから、プラットフォームをつくった者が勝つのは当然だ。それは要素技術に分解できない「ゲシュタルト」としてリーダーが構想するもので、各部署のコンセンサスではできない。そのとき最大限にオープンに見せながら、コアの部分は特許や著作権で守るのが賢明な戦略である。「DRMをやめよう」といいながらFairplayを外部にライセンスしないスティーブ・ジョブズなどは、こうした「見せかけオープン戦略」の代表だろう。そういう狡猾なリーダーが、日本にも必要なのだ。
同じ部品、同じ装置を作っている小粒な同業者がこうも多くては、システムで考えることが出来ないでしょう。 日本国内で規格を纏めるにも一苦労。
自動車にしても、トヨタ、ホンダ、日産、スズキ、富士重工、マツダ、三菱、ダイハツ いい加減、多すぎませんか。 化学、鉄鋼、電気機器全て多すぎます。
特に自動車は、吸収合併が全然進んでいない。