
著者は『マーケティングの神話』で、マーケティング・リサーチによって集めたデータからすぐれた商品を開発しようとする経営学が神話であることを明らかにした。本書はその延長上で、まず事実からイノベーションを「帰納」するという思想が、科学哲学で半世紀前に破産した論理実証主義の焼き直しであると断じる。その上で著者がよりどころにするのは、マイケル・ポランニーの暗黙知の概念である。
暗黙知というと、野中郁次郎氏などの一橋スクールによって経営学ではおなじみだが、著者は彼らの解釈はポランニー自身の思想とは違うと批判する。野中氏などのいう暗黙知は、職人芸のような「技」で、日本の製造業の得意な「すり合わせ」の世界だが、ポランニーのいう暗黙知は、マッハやディルタイの影響を受けた認識論的な概念で、心理学でいうゲシュタルトのような概念化の過程である。この概念を著者は「ビジネス・インサイト」と呼ぶ。
プランクが量子力学を発見したとき、彼の利用した実験データはすべて既知のものだった。プランクはそういう事実から帰納によって理論を導いたのではなく、「事実に棲み込む」ことによってインサイトとして思いついたのである。ポランニーの影響を受けたクーンも「パラダイム」の概念によって論理実証主義を否定した。著者は従来のビジネススクールのケース・スタディも否定し、仮説をさぐるために事実に棲み込む(顧客の立場になる)ケース・リサーチを提案する。
行動経済学の言葉でいえば、イノベーションの本質はフレーミングである。それはイノベーターが新しい世界に棲み込むことによって創発的に生まれてくるもので、技術や営業などの要素には還元できない。日本企業の取得する特許の数は世界一だが、それがイノベーションに結びつかないのは、既存のフレームの改良でしかないからだ。インサイトを生み出すのはコンセンサスではなくリーダーの信念であり、それが正しいかどうかは、事後的に市場で実験するしかない。「埋もれた特許」を産学連携で発掘しようなどという産業政策はナンセンスだ。イノベーションは、技術ではなくアートなのである。
既知の情報の積み上げから帰納的にではなく、「直感」による飛躍によって、新しいアイデアへ到達するメカニズムとはどういうものでしょうか。
私はいま、人がどのようにして「直感」を得るのか、そのメカニズムについて素人なりに考察しています。その前段階として、人が直感によらず帰納的に対象を理解するメカニズムについての記事を下記URLに書きました。
http://bobby.hkisl.net/mutteraway/?p=1151
本記事でプランクは、量子力学を既知の実験データから発見したとの事ですが、プランクに「見え」て他の人にそれが見えなかったのは何故でしょうか。私はプランクに、情報のの「飛躍」を行う「能力」があったからではないかと推測しています。このような能力は、情報量が極端に少ない幼児期にはだれでも持っているが、成長と供に帰納的に学習する方法を学び、それに伴い弱くなるのだけれども、成長してもそのような能力をある程度保持している人がたまにいるのだろうと考えています。
そのような人は、既知の情報と未知のイノベーションとを結びつける「見えざる情報」を無意識の中でつなぎ合わせて、目標へ到達した時に「直感」するのではないかと考えました。
このような能力はまた、複雑なものを複雑なまま理解する能力にも結びつくのだと考えます。たとえば経済学や古生物学のような学問で飛躍的な発見を行う人です。