著者は有名な経済ブログ、Marginal Revolutionの管理人。彼もインターネットの現状について怒るのは、「バカが多すぎる」ということだ。したがって今後のウェブの進化のフロンティアは、下らない情報を排除して必要な情報だけを見るしくみをつくることだろう。私が日常的に見るウェブサイトは、自分のブログと「アゴラ」以外は、RSSリーダー(20ぐらいしか登録してない)とグーグルニュースぐらいで、これで95%の用は足りる。著者も、FacebookやTwitterなどの新しいテクノロジーは、必要な情報だけを見る方向に進化しているという。

この傾向を彼は自閉症(autism)と表現する。これはかつては特殊な病気と考えられたが、最近では広い範囲に(多かれ少なかれ)みられる機能障害の一種と考えられている。人間関係がうまくいかないので社会的活動には支障をきたすことがあるが、集中力が強いので、共同作業する必要のない芸術家や科学者には自閉的なタイプが多い。たとえばゴッホ、メルヴィル、スゥイフト、アインシュタイン、チューリング、ジョイス、ヴィトゲンシュタイン、バルトーク、グレン・グールドなどはそういう傾向があったという記録が残されている。

このような人々にとって、くだらない人間関係に煩わされないで創作活動に専念できるインターネットは福音だ。創作は、今はブログやSNSのような断片的な形で生まれているが、それが古いメディアをしのいで主要な表現形式となる日は、たぶんそう遠くないだろう。本やレコードは資本主義の生んだ特殊なパッケージにすぎず、後者はすでに滅亡の淵にある。学会誌に投稿して3年後に掲載されるなどという古代的な習慣は、ウェブベースのディスカッションペーパーに置き換えられようとしている。

この新しいメディアでもっとも重要なのは、膨大なゴミの山から読むに値する情報だけを選別する自閉的テクノロジーである。人間の神経系は、そういう機能を進化させてきた。行動経済学では、情報の重要性をあらかじめ順序づけることをバイアスと呼んでいるが、人はバイアスなしにすべての情報を平等に認識することはできない。たとえばわれわれのまわりにはあらゆる波長の電磁波が飛び交っているが、目に見えるのはそのうちわずか300nmの波長幅の可視光線だけだ。

特に重要なのは、フレーミングと呼ばれる行動だ。これは言語学や心理学や脳科学でも重要な研究対象になっており、もちろん行動経済学の中心概念でもある。その意味で、本書は『ブラック・スワン』の次に読まれるべき本だ。タレブが暴露したのは、金融工学の美しい体系が実はご都合主義的なフレーミングにすぎないということだったが、本書はさらに進んで(心理学・脳科学と同様に)すべての認知行動はフレーミングであると主張しているからだ。これはアカロフなどが強調する物語の概念とも共通する。

こうした思想は、実はそう新しいものではなく、歴史をたどればクーンの「パラダイム」や心理学の「ゲシュタルト」、マイケル・ポラニーの「暗黙知」、そしてその元祖であるマッハの懐疑主義にゆきつく。マッハは『力学史』で、ニュートン力学を批判した。それはマクスウェルの電磁気学と両立しない「世界についてのニュートンの物語」にすぎないというのだ。この指摘がアインシュタインに天啓となって、特殊相対性理論を生み出した。このようなフレーミング機能に障害のある人が自閉的にみえるわけだ。

既存の社会科学をニュートン力学のような特殊な物語にしてしまう、まったく新しい21世紀の社会科学を生み出すのは、もしかすると国際学会でも査読つき論文でもなく、ペレルマンのようにウェブにDPを投げたまま姿を消す自閉的な天才かもしれない。