きわもの的なタイトルで損をしているが、内容は島桂次会長時代を中心に、戦後の放送史の一面を内側から書いたもの。著者は島の側近だったので、やや好意的なバイアスもあるが、島を通してNHKの組織としての欠陥と戦略の誤りを的確に指摘している。

島は超大物の派閥記者で、大平政権や鈴木政権では閣僚名簿をつくり、局長のころからNHKの会長人事を決める実力があった。私も現役時代に話を聞いたことがあるが、一見めちゃくちゃのようで、実は先見性があった。当時の経営委員長だった磯田一郎(住友銀行頭取)が、「NHKの経営陣の中で民間企業も経営できる能力のあるのは島さんだけだ」と評価していた。

ある意味では、島のような人物が絶大な力をもったことが、NHKの欠陥をよく示している。戦後初のNHK会長は民間人からなる「放送委員会」によって選ばれたが、その後は実質的に首相官邸と郵政省によって選ばれるpolitical appointeeになった。これがNHKの最大のアキレス腱となり、自民党からの圧力をつねに受け、国策に振り回されて独自の経営戦略をとれない原因となった。このため島のように自民党を「押える」力をもつ人物が大きな力をもったのだ。

島桂次のGNN構想

彼が報道局長から会長になった10年あまりは、私が勤務していた時期と重なるので『電波利権』にも書いたが、当時のNHKは今からは想像もつかない活気に満ちていた。記者とディレクター(PD)の職種の境界をとっぱらって「NC9」をスタートさせ、報道と制作の合同プロジェクトで「NHK特集」(現在の「NHKスペシャル」)をつくったのも島だった。現在のNHKの経営の柱になっているBS独自放送を始めたのも、彼の功績だ。

島は「メディアがグローバル化する中で、受信料制度では自由なビジネスができない」として、磯田と組んでMICOという「メディア商社」をつくり、米ABCなどと連携して世界を結ぶ24時間ニュース・ネットワーク「GNN」を設立すると発表した。最終的には、MICOがNHKグループの中心となり、島はMICOの社長になってルパート・マードックの向こうを張り、世界のメディア王になることをめざしていた。ただ腹心の海老沢勝二に寝首を掻かれ、こうした構想は幻に終わった。

島の構想が多分にバブル的だったことは否定できないが、「映像ビジネスが地上波に閉じこもっていては未来はない」という彼の大局観が正しかったことは、いま証明されつつある。彼は会長時代から「衛星で100%カバーできるのだから地上波はいらない」といっており、失脚してからはGNN構想をインターネットで実現しようと「島メディア・ネットワーク」というニュースサイトを1994年に設立した。彼が失脚しなければNHKは地デジではなく、BBCのiPlayerのようなIP映像ネットワークを90年代に構築していたかもしれない。

その後の(実質的な)海老沢時代は、NHKの「失われた17年」というしかない。その後も不祥事の後始末に追われ、マルチメディア局も解体されてネット戦略を立案する部隊もなくなった。その内情は、あの貧弱な「NHKオンデマンド」を見ればわかる。先週も元同僚が「ビール会社から来た会長がトップじゃ何もできない。経営陣がもう少しメディアのわかる人に代わるまで冬眠だよ」といっていた。冬眠している間に凍死しなければいいが・・・

追記:校閲が不十分で誤字が多い。特に「~とゆう」という表現が多いのは著者と編集者の国語能力を疑われるので、重版で直したほうがよい。