「解雇自由」の定義をめぐってつまらない議論が繰り返されるのもうざいので、ここでまとめて書いておこう。そもそも解雇自由という言葉が多義的であり、民法では解雇自由の原則を規定している。この定義はビジネスの現場ではもっと多様で、たとえば人事コンサルタントの鈴木雅一氏は次のように書いている:
解雇問題にあっては、日本と好対照に位置づけられるのがアメリカである。Employment at will、これは日本では“随意雇用・解雇”と訳す。Employment at willとは、会社も社員も、雇用契約の当事者は、いずれかの自由意志で、理由のあるなしにかかわらず、雇用関係を解消できるということを意味する。

ヨーロッパ諸国の事例は若干事情が異なるように思える。概して言えば、アメリカほど解雇は簡単ではないと言えよう。しかしながら、Employment at willの根底にある解雇自由については、原則としては受け入れているように思える。その上で、能力不足などを原因とする解雇と、リストラなどの場合の解雇を分けて会社のとるべき対応方法を規定したり、勤続年数に応じて解雇予告期間を設定することで結果として解雇における金銭解決策に導く工夫をしたりしている。

アメリカの事例に戻れば、Employment at willとは言え、公序良俗に反する差別的な理由による解雇は不当であるとされている。加えて、近年、雇用関係における特殊性、すなわち、交渉力や経済力の実質的な格差から、会社に比べて社員が弱い立場にあるということを考慮して、解雇を論ずる判例も見られるようになってきた。(強調は引用者)
つまり解雇自由=Employment at willという原則は主要国では変わらず、それが労働者に不利にならないように条件をつける構成になっていることも共通なのだ。ところが日本では、この原則と例外の関係が法的に明確でなく、解雇権濫用法理などによって事実上すべての(4要件を満たさない)整理解雇が違法ということになっている。これが経営者を萎縮させて正社員の雇用を減らし、非正規雇用を増やしているのである。

私が書いているのは、今のような曖昧な解雇規制を改め、労基法に解雇自由の原則を明記し、どういう場合には解雇を禁止するか、あるいは解雇の際に労働者にどういう配慮をすべきか、といった規定を明文で設けるべきだ、という世界の常識にそった話だ。この点は2003年の労基法改正のときも議論され、労組の反対でつぶされたが、OECDやNIRAの報告書を読めばわかるように、こういう考え方が経済学者のコンセンサスだ。

ただ経済学者の議論は実装段階を考えていないので、こういうpolitically incorrectな改革を政治的アジェンダとして設定するにはどうすればいいか、あるいはどう法制化するかといった点については、政治家や官僚との議論も必要だと思う。しかし「霞ヶ関の辞書」だけを絶対的真理と思い込み、自分と違う考え方を頭から「無知蒙昧」などと罵倒してかかるような党派的態度からは、建設的な議論は生まれない。