先日、ある雑誌の読書アンケートに『さらば財務省!』を挙げたら、編集者が申し訳なさそうに「高橋さんの本はちょっと・・・」という。過剰コンプライアンスも、ここまでくると「村八分」である。

本書も高橋洋一氏に竹内薫氏が質問する企画だったが、例の事件で高橋氏の名前が削除され、竹内氏の単著になってしまった。竹内氏によれば、高橋氏と出版社の協議の結果、「こうするしか原稿を救う方法がない」とのことでとられた措置だというが、主な著者を匿名にして出版するのは異常である。なぜ高橋氏の名前を消さないと出版できないのか。出版社がいやがったのか、取次が扱えないといったのか。もちろん彼の犯罪は弁解の余地はないが、それと本の内容は別だろう。

ともあれ、本書はふざけたタイトルの割にはちゃんとした内容の本で、地底人(と本書も書いている)の本のような初歩的な間違いはない。入門書としては話の展開が荒っぽく、必要な知識がバランスよく解説されているわけでもないが、「格差は小泉内閣の『新自由主義』のせいではない」とか「バラマキ財政政策ばかりやってもだめで、経済の効率を高める改革が重要だ」といった経済学の常識的な考え方は、「知識ゼロ」の人にも伝わるだろう。

金融政策についての部分は前の本とほぼ同じで、あいかわらず激しく日銀バッシングをやっているが、まだ日銀をバカにする大蔵省のバイアスが残っているのではないか。2000年代初頭のデフレ期の日銀の政策が十分な結果を出せなかったことは事実だが、それは緩和が不十分だったためとは限らない。ゼロ金利のもとでは、クルーグマンもいうように貸し出しが増えないので、FRBがマネタリーベースを激増させているアメリカでもインフレは起きていない。マネタリーベースとマネーストック(本書ではマネーサプライという古い名称で呼んでいる)を混同して「物価はお金の量で決まる」という素朴貨幣数量説を展開する部分は、学問的にも問題がある。

いまだに高橋氏は「100年に1度」と騒いでいるが、これは大げさで、日本の不況はリアルな需要ショックなので、価格調整が終われば、比較的短期間で自然水準に復帰するのではないか。この点でも金融政策の効果は限定的で、問題はその自然水準(潜在GDP)の低下をどうするかである。ここから先は多くの困難な改革が必要で、この点については霞ヶ関の裏側に通じている彼の知識は改革の重要な武器なので、佐藤優氏のようにフリーで活躍してほしい。出版社も横並びで村八分に加わるのではなく、自分の頭で判断すべきだ。