著者がハンナ・アーレントについて書こうと思ったきっかけは、秋葉原事件だという。あれを「新自由主義が生み出した派遣労働者の悲劇」といった物語に仕立て、かわいそうな人々を救済する「派遣村」のような温情主義をたたえる言説が流行した。派遣村を批判した総務政務官を更迭しろ、と国会の代表質問で追及したのは民主党の鳩山由紀夫幹事長(当時)である。

アーレントは、このような「共感の政治」を批判する。彼女は『革命について』でフランス革命を否定し、アメリカ独立革命を肯定した。彼女はlibertyとfreedomとを区別し、前者をフランス革命の、後者をアメリカ独立革命の理念とした。Libertyは抑圧された状態から人間を解放した結果として実現する絶対的な自然権だが、freedomは法的に構成(constitute)される人為的な概念で、いかなる意味でも自然な権利ではない。

「人間が生まれながらに等しく人権をもっている」という思想がフランス革命の暴力を生み出し、のちのロシア革命などの原因となった、とアーレントは批判する。バークも指摘したように、人間は生まれたときにはどんな権利ももっていない。「悲惨な人々」の救済を人権として絶対化する党派は、権力を握ると敵の人権を弾圧する最悪の独裁者になるのだ。アメリカ建国の父はこのようなリスクを警戒し、連邦政府の暴走をチェックして自由を構成する制度として憲法(constitution)を策定した。

派遣労働者に共感するのは悪いことではないが、そこから解放された状態(正社員)を本来の状態として絶対化し、派遣労働を禁止しようとするポピュリズムは、アーレントのいう「複数性」を抑圧し、労働者を企業という牢獄に閉じ込める倒錯した思想である。彼女はそういう「自然な正義」を実現するロマンティックなliberationを否定し、人々が討論によって選択する制度をfreedomと呼んだのである。