おとといの記事には、意外に大きな反響があって驚いた。トレードオフというのは経済学では超基本的な概念で、マンキューの入門書の「10大原理」のトップにあがっている:
  1. 人々はトレードオフに直面している
  2. あるものの費用は、それを得るために放棄したものの価値である
  3. 合理的な人々は限界的な部分で考える
  4. 人々はインセンティブに応じて行動する
  5. 取引はすべての人を改善することができる
  6. 市場は経済行動を組織化するよい方法だ
  7. 政府はときどき市場結果を改善することができる
  8. 一国の生活水準は財とサービスの生産能力に依存する
  9. 政府が紙幣を印刷しすぎると物価が上昇する
  10. 社会はインフレーションと失業の間の短期トレードオフに直面している
しかし一般には、トレードオフという概念そのものが知られていないらしい。弁護士が依頼人だけを擁護したり、政治家が自分の党派だけが正しいと主張するのは、いわば職業病なので仕方がないとしても、自然科学者にもそういう病気が多い。たとえば「地球温暖化問題懐疑論へのコメント」という論文はコペンハーゲン・コンセンサスを批判して次のようにのべる(p.47):
「貧困問題か気候変動か」というような問題設定は、言い換えれば「人間にとって水と食べ物はどちらが大事か」という無意味な問いに似ているように思われる。言うまでもなく、多くの食べ物は水分を含んでおり、答えは「両方とも非常に大事」でしかありえない。そして、実際に私たちがとる行動は、(自分たちの遊興費などを切りつめるなどして)なんとか両方のためにお金を用意するというものだと思う。
彼らは、コペンハーゲン会議の議事録もちゃんと読んでいない。この会議は「貧困問題か気候変動か」といった二者択一を批判し、合理的な政策割当を考えるものだ。世の中には多くの問題があり、一つの問題を解決するために政策資源を使うと他の問題に使える資源が減る。そのトレードオフの中で、最適な資源配分を考えるのが政策割当である。教科書でおなじみのように、トレードオフは予算制約、社会的選択は効用関数(無差別曲線)であらわされる。

あきれるのは「両方とも非常に大事」という答だ。彼らは、地球温暖化対策と貧困対策にトレードオフがないと主張している。つまり前者に1兆円かけても100兆円かけても、後者に配分できる費用は同じだというのだ。「遊興費を切り詰めて水と食料に当てる」というトレードオフにも気づいていない。こんな答案を書いたら、高校生でも落第だが、著者は東北大学・ハーバード大学などのれっきとした研究者である。もちろん彼らは経済学の専門家ではないが、地球温暖化対策は経済問題である。かりに彼らの科学的知見がすべて正しいとしても、地球温暖化対策の社会的便益が貧困対策より低ければ、後者より多くの予算を割り当てることは正当化できないのだ。

トレードオフを無視して「自分の専門分野が絶対的に重要だ」と主張する科学者や法律家の独善は、社会に大きな迷惑を及ぼす。マンキューの原理ぐらいの経済学は、大学入試の必修科目にしたほうがいいと思う。