Web2.0バブルが終わった。グーグルの大成功をみて多くの企業が参入したが、結局ものになったのはグーグルだけだった、とEconomist誌は総括している。それはビジネスとしては「2.0」なんかではなく、ドットコム・バブルと同じ広告モデルしかなかった。そして景気の影響をもっとも受けやすい広告ビジネスは金融危機で破綻し、シリコンバレーにまた「核の冬」がやってきた。

資本主義の条件は持続的に利潤を生み出すことだが、その基盤となっている市場メカニズムは利潤を食いつぶす。マルクスもいったように、「商品経済は偉大なレヴェラー(水平主義者)」なのだ。利潤率は傾向的に低下し、国内で鞘が取り尽くされたあとは植民地から、そして植民地が独立するとグローバル資本主義による「経済植民地」から、それも限界が来ると金融資本主義によって・・・と絶えず新しい利鞘を追求する自転車操業が資本主義の宿命だ。

しかし利潤は市場や情報の不完全性によって生じる過渡的なレントにすぎないので、市場が効率化すればするほど速く価格は限界費用に近づき、利潤は消滅する。たとえばNTTの電話収入はピーク時には年間5兆円を超えたが、いまISPの売り上げをすべて合計しても8000億円にしかならない。利潤は独占度の増加関数であり、NTTの売り上げが大きかったのは電話が独占だったからだ。

インターネットは、市場よりさらに過激なレヴェラーだ。市場では財産権という名の独占によってレントが守れるが、ネットではすべての情報は瞬時にコピーされ、知的財産権という名の情報独占は破壊され、価格が情報複製の限界費用(ゼロ)になる。したがってインフラが効率化するとエントロピーが極大化し――新古典派経済学の想定するように――すべてが静止する熱死状態がやってくる。

マルクスもケインズもシュンペーターも、資本主義が拡大するとともに収穫は逓減し、長期停滞がやってくると予言した。その予言はこれまでのところ外れたようにみえるが、今回の経済危機はもしかすると、先進国では資本主義の鞘が取り尽くされ、長期停滞に入る前兆かもしれない。インターネットは資本主義の死期を早めるかもしれないが、それは人々が不幸になることを必ずしも意味しない。電話がインターネットになってNTTは不幸になったが、ユーザーは幸福になった。たぶん幸福を計測する別の指標が必要なのだろう。