丸山眞男は、おそらく戦後の思想家としてもっとも多く語られてきた人物だろう。彼の正式の著作は少ないが、その講義録や座談集まで数多く出版され、いまだに研究書が出される。そこには戦後の「進歩的知識人」の黄金時代へのあこがれもあるのかもしれない。本書もその一つで、これまでの多くの研究書とは違って、時事的な「夜店」の部分を捨象し、日本政治思想史という「本店」の部分に絞って丸山の思想の発展を跡づけたものだ。

しかし初期の代表作である『日本政治思想史研究』は、近代化論的な思い込みを荻生徂徠に読み込むもので、文献学的には疑問が多いとされている。丸山が生涯を通じて闘ったのは、彼が晩年の論文「歴史意識の『古層』」で語った日本人の精神的原型だった。それは「つぎつぎに・なりゆく・いきほひ」と要約される、超越的な価値観をもたず、その場のなりゆきに流されやすいニヒリズムである。若いころの丸山は、こうした近代的主体の欠如が戦争になだれこむ原因だったと考え、受動的な「である」ことの倫理に主体的な「する」ことの倫理を対置した。

こうした信念の実践が安保闘争だったが、それは政治的には敗北に終わった。そのあと丸山は研究室にひきこもり、東大闘争で「戦後民主主義」の教祖として攻撃され、体調を崩して退官する。その後ほとんど著作を発表しなくなったが、1972年に出た「古層」論文では、一転して日本的ニヒリズムを評価するかのような表現で注目された。
「神は死んだ」とニーチェがくちばしってから一世紀たって、そこでの様相はどうやら右のような日本の情景にますます似て来ているように見える。もしかすると、われわれの歴史意識を特徴づける「変化の持続」は、その側面においても、現代日本を世界の最先進国に位置づける要因になっているのかもしれない。
これは文化的決定論だという批判もあるが、丸山の指摘はウェブ上の言論によく当てはまる。匿名掲示板に見られるのは、主体性が欠如し、空気を読んで多数に同調する古い日本人である。彼らは表の世界では、民主主義とか市場経済などの主体性を原則にした制度を受け入れているが、本当はそういうシステムはきらいなのだ。何かあると「市場原理主義」を攻撃して政府の温情主義を求める人々にも、主体性への嫌悪がみられる。

もちろん西欧的な主体性というのもフィクションなので、どっちがすぐれているかはわからない。「古層」論文のあと、日本的ニヒリズムがポストモダンの先駆だという議論が、「日本的経営」礼賛とあいまって流行したこともある。しかし今となっては、それも思想的バブルにすぎなかった。近代的な主体性を理想化して日本を「遅れた」ものとする初期の丸山も一面的だが、日本が西欧近代に代わる思想を生み出したわけでもない。

明治以来100年以上たっても日本人の「古層」は変わらない、という晩年の丸山のあきらめにも似た宿命論は、おそらく正しい。進歩的知識人が、晩年にこうした「日本的なるもの」に回帰するのも近代日本の特徴だ。それが何の解決にもならなかったこともわかっているのだが・・・