本書のタイトルは「失われた10年」となっているが、戦後の日本経済を統計データでおさらいしたもので、90年代以降の話は後半だけだ。その失敗の理由を、著者は次の3つの要因に求める:
  1. 不良債権によって金融システムが機能不全に陥った
  2. バブル期の過剰投資と過剰債務が、90年代の投資需要を抑制した
  3. TFP上昇率の低下によって潜在成長率が下がった
このうち彼が重視するのは1で、本書の大部分も金融システムの分析にあてられている。日本経済が高度成長期の「キャッチアップ型」から80年代以降の「グローバル型」への転換に失敗し、中枢機能が銀行と政府に集中した経済システムを残したままバブル崩壊に直面したため、金融システムが崩壊すると構造調整がまったくできなくなった。

しかし金融システムが機能しないと、なぜ実体経済に大きな影響が出るのだろうか。実は、この問題は理論的にははっきりしない。「貸し渋り」が起きていたとすれば、資金の超過需要で金利が上がるはずだが、実際には低金利が続いた。この説明としては、クルーグマンが指摘したように、自然利子率がマイナスになっていたという説明が説得的だが、なぜマイナスになったのかは彼も説明していない。

この点は、2のdebt deflationで説明するのが妥当だろう。90年代を通じて、企業部門が貯蓄超過になるという異常な状態が続いた。企業が過剰債務を削減した(マイナスの投資をした)からである。調整が終了したのは、2002年以降、不良債権の最終処理で企業の過剰債務が解消してからだった。ゼロ金利や量的緩和などの金融政策はマクロ政策としては役に立たなかったが、最終処理を側面から支援する政策としては意味があった。

・・・といった結論は『「失われた十五年」と金融政策』ともほぼ同じで、いまや通説といえよう。しかしこうした議論が「どマクロ」的な計量分析だけで進められているのは物足りない。90年代の理論モデルとして唯一あげられているのは(3を主な要因とする)Hayashi-Prescottだが、RBCのような均衡理論で不良債権問題を分析するのは無理だ。Acemogluもいうように経済学は危機のたびに進歩してきたのだから、90年代の危機を理論的に分析することは、現在の危機を理解する役にも立つはずである。