これまで日本の「失われた10年」は世界の笑い話だったが、最近は日本への「評価」が高まってきたようだ。Economistによれば、邦銀の不良資産はピーク時でGDPの35%だったが、米銀のそれはすでに40%を超えた。不動産バブルも、図のように日本のほうが軽かった。日銀の白川総裁の総括も興味深い:
今回の世界的な金融危機の展開については、驚くほどの既視感に囚われます。日本の金融危機は比較的最近まで日本に固有の出来事として片付けられる傾向がありましたが、今回の苦い経験という対価を払いながら、大規模な信用バブルやその崩壊の意味について、認識が次第に深まってきているように思います。

会計、ディスクロージャーの面では、1990年代の日本に比べ、現在はその枠組みが格段に整備されていることは事実です。しかし、市場流動性が極端に細った複雑な金融商品の評価のあり方、オフバランス・ビークルの扱いなど、新たな課題が生じています。
この問題にジャーナリストして初期からつきあった私の印象でも、1995年ごろまでは問題の全貌もよくわからなかった。その「わからない」という状態が疑心暗鬼を生み、すべての企業の投資行動が慎重になり、銀行の貸出が保守的になる。この点は、白川氏も指摘するように今回のほうが深刻かもしれない。かつては邦銀が隠していただけだが、今回は無法地帯になっていたオフショアにどれだけ「毒入り資産」があるか、誰にもわからないからだ。

「金融システムと実体経済の間の負の相乗作用がいかに強力であるか」は日本の最大の教訓だが、現代のマクロ経済学では不良債権の強力なインパクトが説明できない。市場がつねにクリアされていると想定するDSGEには、不良債権という問題は存在しないからだ。現金制約やdebt overhangなどの不均衡状態における行動を分析しないと、金融危機の怖さはわからない。
問題は流動性不足という形で表面化しますが、その背後には資本不足(ソルベンシー)の問題が存在しています。危機発生の初期の局面では、どの程度が流動性の問題でありどの程度がソルベンシーの問題であるかを認識することは困難です。

危機対応策は、危機に先立つ時期において蓄積された過剰自体を解消するものではありません。過剰が大規模なものであった場合、経済が持続的成長軌道に復帰するためには、長い時間を要することになります。
貨幣が長期的にはヴェールであり、問題は実体経済の「過剰」が解消されるまで終わらない、というのも日本の教訓だ。銀行に低金利という補助金を出して金融システムの破綻を小さくすることはできたが、債務者の問題は地価のさらなる低下で深刻になった。

90年代の大蔵省や日銀の対応が拙劣だったことは明らかだが、米財務省やFRBがそれよりうまくやれるかどうかはわからない。好況はいつも同じように幸福だが、不況はそれぞれに不幸だから、危機はつねに初体験なのである。