このごろ政府紙幣についての取材が、なぜか私のところに来るが、たぶん本職の金融経済学者は相手にしないからだろう(来週のSPA!にも出る)。私は「中間小説」も必要だと思っているので、ジャーナリストの素朴な疑問を大事にしたい。

彼らがよく質問するのは、「お札をどんどん刷れば、いずれはインフレが起こるのでは?」という話だ。これは素人だけの話ではなく、かつて「バーナンキ=野口の背理法」なるものをまじめに主張した自称エコノミストがいた。日銀が紙幣を無限に印刷すれば、いずれはインフレが起こるはずだ(そうでなければ通貨発行益で財政支出をすべてまかなえる)という話だが、これは通常のインフレとハイパーインフレの違いを知らない議論だ。そもそも通貨発行益は、回収まで考えればフリーランチではない。

普通は、資金需要と通貨供給の一致するレベルで金利が決まると物価も決まり、今のように事実上ゼロ金利になったあとは、通貨を増発しても何も起こらない。しかし中央銀行がインフレ予想を連続に変化させることができると仮定すれば、望ましいインフレ率になったところで通貨供給の増加を止めればよい。しかし実際にはそうは行かない。図のように、最初はせいぜい数倍ぐらいのインフレが、数年で天文学的に上昇する。


他方アメリカでは、FRBのバランスシートが2倍以上にふくらんでも、デフレが止まらない。両者の違いは、金融政策ではなく財政政策にある。ジンバブエでは、ムガベ政権が紙幣を無限に印刷して財政をまかなうことを人々が予想するので、急いで貨幣を実物資産に換えようとし、それによるインフレを予想して売り手は価格を引き上げる・・・という正のフィードバックが生じているが、米政府がそういう財政政策をとる可能性はゼロなので、人々はインフレを予想しない。

つまり資金需給で決まる普通のインフレと、インフレ予想で決まるハイパーインフレは別の現象で、財政政策によって決まる複数均衡になっているのだ。したがってデフレ状況で、その中間のマイルドなインフレを人為的に起こすことはできない。たとえば日銀が「4%のインフレを15年間続ける」と宣言しても、実際にインフレが起こったらマネタリーベースを絞ってインフレを止めるだろう。企業はそれを(合理的に)予想するので、いくら通貨が供給されても市中に流通するマネーストックは増えない。人為的インフレ政策は、subgame perfectな戦略ではないのだ。

だからインフレを起こすには、credible commitmentが必要だ。たとえば共産党が政権をとって「格差是正のために、資本家の資産の価値がゼロになるまで通貨を増やす」と法律で決め、日銀を脅迫して紙幣を無限に増発させれば、ハイパーインフレが起こるだろう。しかしそういう政権が長期的に継続できるとは思えないので、民主主義国ではハイパーインフレは起こらない(無限に通貨を発行することはできない)。

要するに、インフレを止めているのは金融政策ではなく、中央銀行と政府に対する信頼なのだ。それを意図的に毀損して「レジーム転換」せよなどと論じている人々は――彼らが論理的であれば――日本をジンバブエのような独裁政権にせよと主張しているのである。