経済学の基本的な概念を理解していない人が世の中に多いことは何度も書いてきたが、それが東大経済学部(経営学科)の教授となると深刻だ。『文藝春秋』3月号で、藤本隆宏氏はこう書く:
自由貿易の下、貿易財の輸出可能性(表の競争力)は、他国との生産性(裏の競争力)の差の大きさで決まる――200年前に古典経済学の巨人、D.リカードが喝破した「比較優位」は、経済学で最も頑健な論理の一つである。(p.191 強調は引用者)
これは間違いである。次のウィキペディアの記述が正しい:
比較優位とは、たとえ、外国に対して低い生産性しか実現できなかったとしても、貿易においては優位に立っていると言う考え方である。たとえば、ワインと毛織物という商品があったとして、小国と大国がそれぞれどちらの商品も生産していたとする。
  • 小国:労働者一人当たりでワイン2単位、または毛織物4単位生産できるとする。
  • 大国:労働者一人当たりでワイン10単位、または毛織物30単位生産できるとする。小国はどちらの商品生産においても大国より生産性が低いということになる。いいかえれば、大国は小国よりも毛織物およびワインの生産性が高いため絶対優位となる。では小国は大国に対してどちらも競争力がないのであろうか。答えはノーである。小国はワイン生産において比較優位なのである。なぜかというと、小国ではワイン1単位と毛織物2単位が等価、大国はワイン1単位と毛織物3単位が等価であるからだ。つまり、小国のほうがワインを割安に作れるのである。
  • 比較優位とは、国内における他の財との生産費の比によるものであり、「他国との差」ではない。よく使われるたとえでいえば「アインシュタインが秘書よりタイピングがうまくても、彼がタイプしてはいけない」のだ。輸出競争力を決めるのは、(藤本氏の混同している)絶対優位ではなく比較優位だから、中国のように生産性の低い国が日本に輸出できるわけだ。この小国と大国を中国と日本に置き換えると、たとえばこうなる:
    • 中国:労働者一人当たりで大衆車3台、または高級車1台生産できるとする。
    • 日本:労働者一人当たりで大衆車20台、または高級車10台生産できるとする。
    この場合、中国はどっちの財でも日本より絶対劣位だが、大衆車に比較優位がある。大衆車1台をつくる機会費用が高級車1/3台で、日本(1/2台)より低いからだ。したがって中国は、大衆車に特化すれば日本より高い競争力をもつ。逆に日本が中国に輸出できる(競争優位がある)のは高級車だけだから、トヨタが高級車に特化したのは合理的である。この比較優位は当分変わらないだろう。

    しかし高級車の市場は縮小し、新興国向けの大衆車の市場が拡大している。中国ではエンジンまで外注する「組み合わせ」型の大衆車が、トヨタの半値以下で売られている。このような「市場の変相」が、トヨタの経営危機の原因である。つまり問題は比較優位が失われたことではなく、高級車の比較優位が役に立たなくなったことなのだ。

    したがって藤本氏の推奨する「すり合わせを強めて品質を高めよ」という戦略は、もともと比較優位のある(しかし市場では売れない)高級車の品質向上に経営資源を集中する、典型的な持続的イノベーションの罠である。世界の市場で何が求められているかを虚心に分析し、すり合わせにこだわらないで「低価格・低品質」の大衆車をつくらないと、かつてビッグスリーがトヨタに駆逐されたように、トヨタは世界市場から駆逐されるだろう。

    日本の自動車産業や経済産業省の顧問ともいうべき藤本氏が、このように現状認識を取り違えていることは、今後の自動車産業に悪影響を及ぼすおそれがあるので、あえて書いておく。