著者は昨年の12月に『世界経済危機 日本の罪と罰』を出したばかりだが、そこから2ヶ月もしないうちに金融危機についての2冊目の本が出た・・・ようにみえるが、中身の大部分は週刊東洋経済に連載されていた「説話ファイナンス理論」である。タイミングは偶然だろうが、金融危機を理論的に考えることは重要だ。

しかし前の本も含めて、著者のアプローチには疑問も残る。それは彼の議論が一貫して効率的市場仮説にもとづいている点だ。たとえばブラック=ショールズ公式の前提は、値動きが対数正規分布(幾何ブラウン運動)になっていることだが、株式市場や外為市場の価格がベキ分布になることは、多くの実証研究が示している。タレブのような異端者ばかりでなく、マルキールの有名な教科書でさえ、最新版では行動ファイナンスに1章をさいているのだが、著者はそういう「邪道」の理論には言及もしない。

したがって今回の金融危機の説明も、「正しく使えば問題のないファイナンス理論の使い方を誤っただけだ」ということになってしまう。RajanのようなIMFのエコノミストでさえ懸念していたtail riskをまったく無視しているのは奇異である。現実にも、UBSの投資銀行部門が多額の損失を計上した原因はtail eventの軽視だったと調査報告書はのべている。

著者はファイナンス理論は自動車のようなもので、使い方を誤ると死者が出るからといって自動車を禁止するのはおかしいと書いている。もちろんそういう面もあるが、もし自動車に欠陥があって、ある速度を超えると暴走するリスクがあるとすれば、制限速度を規制しなければならない。商業銀行の自己資本比率が8%以上に規制されているのに、6400億ドルもの資産をもっていたリーマンブラザースの自己資本比率が3%以下だったのは制度的に非対称である。

また「投資家が格付け会社に頼ったのが誤りで、金融工学を使ってリスクを計算すべきだった」という著者の批判はおかしい。CDOのような複雑なストラクチャーの原資産リスクを投資家が計算することは不可能だし、それを計算することは合理的でもない。投資家が情報コストを節約するために格付け会社に頼るのは合理的で、取り付けが起きたら他人に追随して取り付けに走ることも合理的だ。そういう投資家の心理を勘案して制度設計を行なうことが、今後の金融規制改革の課題である。