1990年代に日本経済が失ったものは多いが、ある意味で不良債権より深刻なのは、邦銀が「金貸し」を脱却できなかったことだ。欧米では、銀行が金貸しからリスク管理業務に重点を移す動きが80年代から始まった。1984年の日米円ドル委員会のころは横並びだったのだが、その後の展開は対照的だった。英米の投資銀行が高度な金融技術を駆使して高い収益を上げ、企業買収などを仲介して産業の再構築を促進したのに対して、邦銀は金融制度調査会で証券業界と不毛な縄張り争いを延々と続けていた。

本書は、1985年に長銀が「第5次長期経営計画」で投資銀行への転進をはかっていた時期の行内の状況を描いている。経営計画は円ドル委員会による自由化の流れに乗って、ゴールドマン・サックスのような高収益企業になることを目標に掲げた。年功序列も廃止し、人事や給与を「経営貢献度」の点数によって決める能力主義を導入した。しかしこうした改革は行内で抵抗を受けたばかりでなく、金制調では証券会社に「メインバンクの力を利用して長信銀が証券業務に侵入するもの」と警戒され、「業態別子会社」という中途半端な形で認可されたため、投資銀行への転換は挫折した。おりからの不動産バブルで、むずかしい金融技術より簡単ですぐもうかる不動産担保融資に傾斜し、長銀はEIEに巨額の融資を行なって、バブル崩壊とともに壊滅した。

長銀が破綻したあと旧経営陣が逮捕され、国有化された長銀が著者など15人の元役員に対して総額63億円の損害賠償訴訟を起こしたが、この裁判は昨年7月、最高裁で刑事・民事ともに被告勝訴の判決が出て決着した。著者もいうように、バブル崩壊を前もって予測した日本人は皆無に等しく、長銀の経営陣が特に無能だったわけではない。不良債権処理を「粉飾」とする検察のストーリーは、銀行に横並びで「計画的・段階的な処理」を指導した大蔵省を免罪して、指導に従った銀行の経営者個人の責任を追及するもので、公的資金投入への批判をかわすためのスケープゴートづくりだ、という著者の主張はその通りである。

しかし本書には、かつては護送船団行政に守られて楽してもうけていた邦銀が、経営が傾いたら大蔵省に泣きついて数十兆円の公的資金を引き出してドブに捨てたことへの反省もなければ、この20年の金融業界の変化についての時代認識もない。特に最終章で、今回の金融危機をめぐって投資銀行を批判して「原点に戻れ」と金貸しへの回帰を唱え、「新護送船団」の再建を提唱するに至っては言語道断だ。この程度の頭取しか持てなかった長銀が破綻したのは当然だが、もっと無能な大蔵官僚が責任追及をまぬがれたのは不公正である。