現在が「歴史的転換期」だという話は、いつも語られてきた。そういうときよく引用されるのがウォーラーステインだ。彼の歴史理論は、ここ500年ぐらいの世界史を包括的に展望する荒っぽいものなので、なんとでも解釈できるのが取り柄だが、逆にいうとほとんど実証的に検証可能な命題が導けない。本書はウォーラーステインとネグリ=ハートを中心として、いろいろな世界史理論を雑然と並べたものだが、一種のサーベイとしては役に立つ。

ウォーラーステインの理論の元祖は、1970年代にフランスで、エマニュエル、アミン、フランクなどによって提唱された従属理論である。エマニュエルの理論は、グローバル資本主義を不等価交換を作り出すシステムとして数学的に定式化し、国際経済学に影響を与えた。そしてフランクがウォーラーステインの「ヨーロッパ中心主義」を批判したのが『リオリエント』で、本書の議論も両者の比較が軸になっている。

ウォーラーステインは、近世の世界=帝国システムが、ヨーロッパを中心とする世界=経済システムに取って代わられる過程として近代世界システムを描いた。これに対してフランクは、歴史上の大部分において世界の富のほとんどは(中国を中心とする)アジアによって生み出されてきたのであり、ヨーロッパはそれに寄生して、ここ100年ほど世界の中心になったにすぎないという。そして21世紀には、ふたたびアジアが歴史の中心になるだろう。

こうした歴史観を検討する上で本書がコアにするのが、ポランニー的不安の概念である。これは『大転換』でのべられた、本源的な自然や人間が市場メカニズムに飲み込まれて「商品化」されることがもたらす不安だ。近世帝国では市場の力は世界=帝国の中に封じ込められていたが、世界=経済システムは市場を中心にすえて効率を上げる一方、ポランニー的不安を全世界に拡大した。日本の非正規労働者をめぐる問題も、その一環である。

しかし世界=経済システムの中核にある市場の等価交換システムは、その上に構築された不等価交換システムとしての資本主義をつねに脅かす。国内で競争が激化して利潤機会が消滅すると、資本は海外に拡大し、軍事的・経済的な植民地化によってアジアを搾取してきたが、新興国が自立すると不等価交換は不可能になる。そこで新たにレントの源泉となったのが情報技術と金融技術だが、金融技術による鞘取りで市場が効率的になると、鞘は失われる。その実態を投資銀行は複雑な「エキゾチック金融商品」によって隠してきたが、今回の金融危機はそれを一挙に明らかにしてしまった。

投資銀行のPonzi schemeが破綻したこと自体は望ましいのだが、それによって新興国の過剰貯蓄をアメリカの過剰消費が吸収する「グローバルなケインズ主義」の構造が崩壊すると、世界経済が縮小することは避けられない。そしてインターネットは、「知的財産権」によってレントを独占してきた既存メディアを破壊しようとしている。

現代が近代世界システムの崩壊過程だという点では、ウォーラーステインもフランクも著者も意見が一致しているが、それがどこに行くのかは誰にもわからない。おそらく世界は相互依存をさらに深め、市場メカニズムが世界をおおい、ポランニー的不安が新興国にも広がるだろう。著者はそれを「新しい帝国の再構築」の過程だというが、旧秩序の解体は明らかでも、新秩序が再構築される兆しは見えない。