雇用問題は身近で切実なので、アクセスもコメントも多い。経済誌の記者はみんな「池田さんの話は経営者の意見と同じだが、彼らは絶対に公の場で『解雇規制を撤廃しろ』とはいわない」という。そういうことを公言したのは城繁幸氏辻広雅文氏と私ぐらいだろうが、辻広氏のコラムにも猛烈な抗議があったという。

解雇規制が労働市場を硬直化させて格差を生んでいることは、OECDもいうように経済学の常識だが、それを変えることが政治的に困難なのも常識だ。これは日本だけではなく、フランスのようにわずかな規制緩和でも暴動が起きてしまう。人々は「雇用コストが下がれば雇用が増える」という論理ではなく「労働者をクビにするのはかわいそうだ」という感情で動くからだ。

正社員と非正規社員の格差も、世界的にみられる現象である。これは原理的には、効率賃金仮説で説明できる。経営者(プリンシパル)と労働者(エージェント)に情報の非対称性があるとき、労働者が怠けるのを防ぐために、中核的な労働者には限界生産性より高いレントを与え、怠けたら解雇されて、外部労働市場では限界生産性に見合う低い賃金しかもらえないようにすると、労働者は自発的に会社に忠誠をつくす。日本の年功賃金が効率賃金の一種だというのは、よく知られた事実である。

大企業とその下請けの中小企業の二重構造も、こうしたレントによる階層構造として理解できる。正社員が「終身雇用」だというのも神話で、労働人口の8割を占める中小企業には雇用保障はなく、その賃金は大企業のほぼ半分だ。こうした中小企業の労働者や非正規労働者の時給は生産性に見合っているが、大企業のホワイトカラーや管理職の年功賃金はまったく生産性に見合っていない。それは長期的なレントによって彼らを囲い込むメカニズムなので、その機能を無視して「成果主義」にすると、大混乱になる。

したがって今のように雇用規制が強まる前から二重構造はあったし、雇用規制を撤廃しても残るだろう。問題は、こうした企業の合理性を超えて法的な保護が強まっていることだ。最近のタイガー魔法瓶事件では、「派遣切り」も雇用契約の打ち切りとみなされ、企業が和解金を支払った。司法にこういう「事後の正義」のバイアスがあるのはやむをえない。彼らの仕事は、事後の紛争処理なのだから。本来は立法や行政が事前のインセンティブへの悪影響とのバランスをとらなければならないのだが、大臣が「製造業の派遣を禁止する」などという厚労省にはそれは望めない。

非正規労働者の身分差別を生んでいるのは、このように合理的な効率賃金を超えて正社員を過剰に保護する解雇規制である。規制を撤廃して解雇のリスクがなくなれば、企業はコアの労働者は長期雇用し、それ以外の労働者は高コストの派遣ではなく雇用関係でやとうようになるだろう。それによって、むしろ「すべり台社会」は阻止できると思う。