著者(湯浅誠氏)は「派遣村」の主催者で、本書は昨年の大佛次郎論壇賞を受賞した。まだ「論壇」などというものがあると信じている左翼老人には、こういう本が受けるのだろう。ただ著者は慎重に従来型左翼との差別化をはかり、「労働力商品」などという古くさいジャーゴンは決して使わない。彼の経歴も東大法学部の博士課程修了と、普通の「プロ市民」とは違う。彼が社会主義崩壊後の左翼をになう「新世代のヒーロー」と目される所以だろう。

しかし残念ながら、本書の内容は階級闘争史観の衣替えといわざるをえない。伝統的左翼のように「独占資本」や「帝国主義」を糾弾する代わりに、著者は「グローバル資本主義」や「新自由主義」を糾弾し、奥谷禮子氏や竹中平蔵氏が仮想敵として登場する。その論法は「自己責任論」を否定して、最低賃金や生活保護などの「ナショナル・ミニマム」を引き上げるよう政府に求める、きわめて伝統的な「ものとり闘争」だ。

本書の中心概念である「溜め」とは、貧困層を受け止める社会的なバッファのことである。政治学の研究者なら当然、コミュニタリアニズムやソーシャル・キャピタル論などを踏まえているのだろうと思ったが、内容は旧態依然たる「格差社会論」だ。リバタリアニズムの弱点は、西欧近代のモナド的個人に依拠している点にあるので、コミュニタリアンのようにそこをつけばおもしろいと思うが、本書のような「社会主義2.0」では、朝日新聞や岩波書店などの滅びゆく左翼は喜ぶかもしれないが、若者はついてこないし、政策論議としても建設的なものは出てこない。