週刊ダイヤモンドの1月10日号(来週月曜発売)の特集は「デフレ再来」。また「まずデフレを止めよ」とかくだらない話かと思ったが、執筆陣からめでたくリフレ派は一掃され、「グローバルな構造的デフレ」の分析だ。さすがに経済誌は、朝日新聞より進歩しているようだ。

現状を構造的な潜在成長率の低下とみるか、一時的な需要不足による景気循環とみるかが、今後の経済政策を考える上で大きな分かれ目だ。政治家はつねに後者をとり、「景気対策」を発動したがるバイアスをもつが、これは自明ではない。両者を折衷して「デフレを止めてから構造改革をすればよい」という類の話は、大昔の新古典派総合の発想だ。

これはサミュエルソンの有名な教科書で初期に提唱されたもので、不完全雇用のときはケインズ経済学が、完全雇用のときは新古典派経済学が有効だという話である。しかし、なぜ不完全雇用では価格メカニズムが働かないのかという説明はない。最近の新ケインズ派総合の教科書では、このような非論理的な折衷ではなく、長期的な自然率の世界をベンチマークとし、現実の状態がそこから乖離しているかどうかをまず考える。

たとえば失業率が5%あったとしても、新古典派総合のようにただちに景気対策をやれということにはならない。もし自然失業率が5%であれば、現状は定常状態に近いので、総需要を追加しても改善しない。自然失業率を下げるためには、サマーズもいうように労働組合の既得権を削減し、労働市場の流動性を高めることが重要だ。

同様に、長期金利が1%に低下したとしても、それが自然利子率に見合う水準であれば、無理に下げる必要はない。非伝統的な金融政策で過剰な通貨供給を行なって金利が自然率の下方に乖離すると、バブルが起こるだけで企業活動は改善しない。こういう場合に必要なのは、自然利子率を引き上げる構造改革だ。Hayashi-Prescottが指摘したように、日本の長期不況の最大の原因が投資機会の喪失による自然利子率の低下だというのは、多くの経済学者のコンセンサスである。

デフレのもう一つの要因は、新興国の登場や情報技術革新による相対価格の低下である。こうした議論を「物価水準と相対価格を混同するもの」としてしりぞけるのも、古い「1財モデル」のケインズ派だ。最近のマクロ理論では、原理的に相対価格と物価水準の差異はない。物価水準Pは、i財の相対価格Piを集計したΣPiの略称にすぎない。このような相対価格の変動も、構造的な要因である。

だから現状が自然率に比べて上か下かを判別することが政策立案の第一歩である。ただ自然率は安定していないので、計量データで同定することはむずかしい。考えられる一つの基準は、マクロ政策への感応性である。財政・金融政策を最大限に発動しても経済に大きな影響がないときは、すでに自然率に近い水準にあると考えられる。

「100兆円の財政政策できかなかったら200兆円やればいい」とか「政策金利0.1%ではきかないがゼロにすればきく」などというのは、自然率の概念を理解しない「どマクロ経済学」の発想だ。最近のマイナス成長も、急激だからといって短期的な乖離とは限らない。これは輸出産業の最大の市場だったアメリカの過剰消費の修正という長期的要因が大きいので、日本の景気対策で是正することは不可能だ。

週刊ダイヤモンドでも多くのエコノミストが指摘するように、アメリカ経済の縮小と新興国の台頭という長期的トレンドは不可避であり、こうした問題についてマクロ政策は何の役にも立たない。景気対策という誤ったアジェンダばかり論じられることによって、グローバルな長期の問題への対応が無視される弊害はきわめて大きい。