トヨタの渡辺社長が辞任し、豊田家に「大政奉還」される。世界のトヨタも、古い同族企業だったわけだ。遅きに失したが、トヨタ・バブルがようやく崩壊したのは結構なことだ。こうした古いシステムを「ものづくり」だの「すり合わせ」だのと賞賛してきた経営学者も、反省してほしいものだ。

日経BPnetにも書いたことだが、すり合わせ型のアーキテクチャは日本的組織の要請で採用されたもので、戦略的な最適化の結果ではない。それは高級乗用車のような補完性のきわめて高い特殊な製品には結果的に有効だったが、情報革命によってすべての工業製品は組み合わせ型に移行しつつある。私の修士論文にも書いたように、要素技術のモジュール化と組織の水平分業化は不可逆の流れである。

もちろんすり合わせ型の高級車も残るが、それは成長部門ではなく、スイス製の時計やカメラのようなすきま商品になろう。自動車も中国ではモジュール化し、インドでもタタが30万円以下の自動車を出した。トヨタが赤字になった一つの原因も、高級・大型指向の北米市場に依存し、新興国の市場を開拓できなかったことにあるといわれている。北米市場の落ち込みは循環的なものではなく、アメリカの過剰消費の縮小なので、この低迷は長期化するだろう。

トヨタがこれまで奇蹟的な高収益を上げてきたのは、GMなどの恐竜がトヨタより劣悪で、コンピュータにおけるPCのような破壊的イノベーションにさらされなかったからだ。そういう競争に遭遇した電機メーカーは、すでに情報通信機器の世界市場ではマイナー・プレイヤーに転落した。自動車産業は設備投資がきわめて大きく参入が困難なために、アーキテクチャ競争がコンピュータから四半世紀おくれてやってきたのである。

すり合わせ神話の最後の砦だったトヨタが没落した以上、「日本的ものづくり」を輸出しようなどという中谷巌氏の主張も時代錯誤だ。むしろ運転系統の電子化、GPS、燃料電池などの技術によって、自動車のモジュール化は急速に進むだろう。今でも自動車の特許の半分は電子部品だといわれている。すり合わせを柱にしてきた経産省の産業政策も、これで崩壊したわけだ。ビジネスを知らない官僚が経営に口を出すのは有害無益である。

だから好むと好まざるとにかかわらず、日本人はこれから最も苦手とするグローバルな水平分業に適応しなければならない。しかし私は、このハンディキャップは宿命的だとは思わない。戦前の日本では、勤続3年以下の「短期工」が半数を超え、流動的な労働者の分業体制で製造が行なわれていた。彼らを「終身雇用」の大組織に組み込んだのは戦時体制である。だから野口悠紀雄氏もいうように、われわれの直面している課題は、いまだに戦時体制からの脱却なのだ。