グリーンスパンがFRB議長をつとめた18年間は、著者アイン・ランドに象徴されるリバタリアンの時代だった。「自己調整的な市場」を信じたグリーンスパンの手法が現在の金融危機の原因だ、とスティグリッツは断罪している。投資銀行を規制しようとしたヴォルカーを更迭して、ランドを教祖とするクラブのメンバーだったグリーンスパンを議長にしたのはレーガン大統領だった。議会で追及されて、グリーンスパンは失敗を認めた。
Looking back at that belief during hearings this fall on Capitol Hill, Alan Greenspan said out loud, “I have found a flaw.” Congressman Henry Waxman pushed him, responding, “In other words, you found that your view of the world, your ideology, was not right; it was not working.” “Absolutely, precisely,” Greenspan said.
他方、ランド財団の理事長は、FRBの介入が今回の危機をまねいたのであり、悪魔に魂を売ったグリーンスパンは破門したという。ランドの客観主義というのは、利己主義の追求がそのまま社会全体の利益になるので、生命や財産権の保護などの「夜警国家」以外の政府の機能は廃絶すべきだという思想だ。これは社会哲学としては幼稚なものだが、いま起きている変化がレーガン以来の「小さな政府の30年」から次の「大きな政府の30年」への移行だとすれば、その方向を考えるベンチマークとしては役に立つ。

ランドのいう利己主義とは、勝手気ままな行動ではなく、個人が客観的な事実を「合理的」に認識して行動することだ。これは「企業が社員や地域の利益まで考えて行動することによって株主価値も最大化されるのだから、株主資本主義でよい」というグリーンスパンの考え方に通じる。エゴイズムが美徳(訳本では「気概」という変な訳になっている)だというのも、こうした予定調和的な啓蒙主義の発想だ。しかし個人の利益最大化の集計が経済全体の効率最大化になるためには、経済学でいえば社会的な外部性を個人が100%内部化していなければならない。一般的には、そういう条件は成り立たない。

彼女の思想は徹底的な個人主義でありながら、その反対物であるヘーゲル=マルクスの思想と似ている。私人(privatmann)のエゴイズムを国家がアウフヘーベンして、即かつ対自的な個体(individuum)を実現するというヘーゲル法哲学をマルクスは「転倒」して、国家を「自由な個人の連合」で置き換えた。しかしこんな観念的なスーパー個人は現実には存在しないので、実際の社会主義国家ではエゴイズムを抑圧する装置としての官僚機構が怪物的に巨大化した。

この意味でランドやグリーンスパンの思想は、「理性の狡知」を信じるヘーゲル的な計画主義に通じるところがある。それは理性の支配を否定して、無知な個人の行動を調整するルールの設計に情熱を傾けたハイエクの思想とは似て非なるものだ。これから「新自由主義はだめだから政府が介入する」という反動が来るとすれば、それは誤りである。自由の反対は、裁量的な介入ではない。政府の裁量を断ち切るための抽象的な法の支配こそ重要なのである。